索 引
歴史上の人物名を商標登録できるかどうかという問題は、商標の世界において長年議論されてきたテーマです。
特に、テレビ番組などで坂本龍馬といった歴史上の偉人が取り上げられると、その名前をめぐる商標登録の議論が活発化します。坂本龍馬や中原中也など、広く知られた故人の名前を商標として独占できるのか。
この点について、過去に産経新聞の大坪記者から取材を受けたことを2010年3月10日のこのブログで紹介しました。
弁理士としての活動を以前からNHK等で取り上げて頂いていた経緯もあり、たまたま大坪記者が私を見つけてくださったことがきっかけです。
当時の取材結果は「郷土の偉人 商標登録めぐり食い違い」との題名の記事として産経新聞に掲載されました。
1. 特許庁の基本的な方針
取材当時、特許庁は2009年10月に、歴史上の人物名を商標登録する際の指針を発表しました。商標審査便覧42.107.04「歴史上の人物名(周知・著名な故人の人物名)からなる商標登録出願の取扱いについて」という文書がそれに該当します。
この指針によれば、歴史上の人物の名称を使用した公益的な施策などに便乗し、その遂行を阻害するような商標登録出願については、登録を認めないという方針が示されています。
公共的利益を損なう結果をもたらすことを知りながら、利益を独占しようとする意図が認められる場合は、商標登録が拒絶される可能性が高いのです。
2. 地域振興と商標登録のバランス
地域振興の観点からは、歴史上の人物の名称を商標登録によって保護したいという要望があります。たとえば、特定の業者が権利を独占するよりも、地域の公共機関が商標権を取得した方が望ましいという考え方もあります。
しかし、この問題は単純ではありません。ある特定の地域が歴史上の人物名に関する商標権を取得した場合、その地域以外では当該名称を使用できなくなる可能性があります。これは他の地域における文化活動や経済活動に影響を与えかねません。
一方で、誰にも商標権を取得させないという選択肢にも問題があります。たとえば、歴史上の人物の名を冠した品質の低い商品が大量に流通した場合、それを規制する手段がなくなってしまうからです。
3. なぜ歴史上の人物名に関するルールが必要なのか
商標法第4条第1項第8号により、生存している人物の名前を本人の承諾なく商標登録することは禁止されています。しかし、亡くなった歴史上の人物を直接保護する条文は存在しません。
著名な歴史上の人物、たとえば戦国武将や文豪などは、その出身地やゆかりの地で「郷土の偉人」として敬愛されています。これらの人物名は、観光振興のシンボルとして祭りや土産物、博物館などで広く活用されていることが多いです。
このような状況において、ゆかりのない第三者がその名前を商標登録で独占してしまうと、地元の人々が自由に使用できなくなり、地域振興活動の妨げになります。また、社会全体の共有財産ともいえる偉人の名前を一個人や一企業が独り占めすることは、公正な競争秩序を乱すことにもなりかねません。
そこで特許庁は、商標法第4条第1項第7号の「公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがある商標」という規定を適用して、このような出願を審査しています。
4. 審査官がチェックする6つのポイント
特許庁の審査官は、歴史上の人物名だからといって一律に登録を拒絶するわけではありません。以下の6つの事情を総合的に考慮して判断を行います。
その人物の知名度は?
教科書に掲載されるほど有名な人物か、あるいは特定の地域でのみ知られている人物かによって、判断が異なってきます。
一般の人々がその人物についてどのような感情を抱いているか?
地元住民や国民から敬愛されている人物の名前を第三者が独占すると、社会的な反発を招く可能性があります。
その名前が現在どのように使用されているか?
すでに地元の祭りや公共施設、観光案内などで広く使用されている場合は、商標登録が認められにくくなります。
出願された商標と商品やサービスとの関係は?
土産物や特産品など、地元の観光産業と競合するような商品区分での出願は、便乗の意図が疑われやすくなります。
出願の動機は?
純粋なビジネス目的なのか、それとも有名人の名声にただ乗りしようとしているのかが検討されます。
出願人とその歴史上の人物との関係性は?
子孫や関係団体による出願と、まったく無関係な第三者による出願では、審査の判断が異なることがあります。
5. 登録が認められなかった具体例
過去の審判や裁判においては、いくつかの商標登録が取り消されたり、出願が拒絶されたりしています。
「赤毛のアン(Anne of Green Gables)」事件
実際の人物ではなく、小説上の人物名ですが、カナダの著名な作品名を日本の企業が商標登録しようとしましたが、作品や作者の評価を損なうおそれがあるとして登録が認められませんでした。さらに、日本とカナダの国際的な信頼関係にも影響を与えかねないという点も考慮されました。
「カーネギー」事件
著名な著述家デール・カーネギーの名声を、教育講座などのビジネスに利用しようとする意図が認められ、商標登録が無効とされました。
6. 登録が認められる可能性もある
以上のような審査基準がある一方で、歴史上の人物名というだけで商標登録が拒絶されるわけではありません。
あまり広く知られていない歴史上の人物の名前であれば、登録される可能性があります。また、地元の観光振興活動と競合しないような商品やサービスの区分で出願する場合も、登録が認められることがあります。
商標登録の可否を決める境界線は、特許庁の審査方針だけで完結するものではありません。
審判や裁判の実務を通じて、その方針が見直される余地も残されています。歴史上の人物名の商標登録については、個別の事案ごとに慎重な判断が求められるといえるでしょう。
7. まとめ
歴史上の人物名の商標登録について、特許庁は「みんなに愛されている歴史上の人物名を、ゆかりのない他人が、地元の活動などを妨害する形で独占しようとしても、登録は認めない」という基本方針を持っています。
一方ですべての歴史上の人物名が商標登録できないわけではありません。その人物の知名度、地域との関係、出願の動機など、様々な要素を総合的に判断した上で、個別に登録の可否が決定されます。
商標登録を検討する際には、これらの審査基準を踏まえた上で、専門家に相談されることをお勧めします。
ファーイースト国際特許事務所
所長弁理士 平野 泰弘
03-6667-0247