索引
初めに
これまでの新型コロナウイルスの影響により、商業環境が大きく変化しています。2020年度における商標登録の傾向を調べたところ、権利範囲が狭い出願が増加していることがわかりました。本記事では、その背景と影響について解説します。
(1)商標登録に権利範囲の変化が見える
1-1. 権利範囲を絞る出願が増加
近年、同一料金で取得できる商標権の権利範囲が狭くなる傾向が顕著です。
例えば、追加料金なしで取得できる権利範囲をあえて最初に切り捨てて、狭い範囲で出願されるケースが増えています。
このような出願では、後から権利範囲を拡大する際に、本来なら無料で一つの権利でまとめられたはずなのに、二つの権利を維持することになります。この場合は倍額の追加費用がかかるため、結果的にコストが未来永劫倍増するリスクがあります。
1-2. 背景にある方針の違い
一部の出願者は、本来なら無料で追加できた権利範囲を切り捨てて、権利範囲を積極的に絞り、審査リスクを抑える方針を取っている可能性があります。この選択が妥当かどうかは、事業計画や将来の展望によるため、出願前に慎重な検討が必要です。
1-3. 2020年の商標データ分析
2020年1月から12月までに商標公報に掲載された全商標を調査し、権利範囲の広さを比較しました。特に第35類(小売役務商標)に注目し、以下の結果が得られました。
1-4. グラフで見る出願傾向
Fig.1 2020年度商標公報が発行された商標権について、1件当たりの商標権の広さの比較

調査対象として、ファーイースト国際特許事務所と出願件数上位5業者を選定しました。その結果、ファーイースト国際特許事務所が扱った商標は他と比べて広い権利範囲を確保している傾向が確認されました。一方、他業者では、無料で追加できる権利範囲が切り捨てられた、狭い範囲の出願が目立ちます。
1-5. 第35類小売役務商標の活用メリット
小売役務商標では、1区分の料金で幅広いカテゴリを包括的に保護できます。例えば、「化粧品小売」に加えて「衣服」や「飲食品」の小売も、追加料金なしで一括で出願が可能です。この柔軟性が第35類の大きな特徴です。
1-6. 狭い範囲の出願によるリスク
本来、第35類は広範囲の保護が可能な制度です。それにもかかわらず、一部の出願では出願時に無料で追加できる範囲を切り捨てて、範囲を意図的に狭めていることが見受けられます。
これは後々のビジネス展開に制約を与える可能性があります。もし、出願時に無料で取得できたはずの権利の取得見逃しがあったなら更新時の見直しが必要です。
1-7. 権利範囲設定の重要性
商標登録時に権利範囲を適切に設定することは、長期的な事業展開において重要です。特に一度出願した内容は後から変更できないため、慎重に判断する必要があります。
1-8. 戦略的なアプローチを
広い権利範囲を追加料金なしで確保することで、将来的な競合他社の参入を防ぐ効果が期待できます。
一方で、あえて本来なら無料で追加できた範囲を切り捨てて、狭い範囲で出願するのは、審査官との折衝応費用を抑えつつ、特定の事業に集中する利点もあります。
いずれにせよ、自社のニーズに合わせた戦略的な選択が求められます。
ここに注目
2020年度の商標登録データは、無料で追加できた範囲をあえて切り捨てて、権利範囲を絞る傾向が強まっていることを示しています。
出願時に無料で追加できた範囲をうっかり切り捨てると、その部分に権利の空白部分ができて、他社に権利を横取りされる可能性が高まります。
商標登録を検討する際は、弁理士・弁護士の専門家と直接相談し、長期的な視点で最適な方針を立てることをおすすめします。
(2)権利範囲の狭い出願が増えた理由
短時間で、できるだけ多くの出願処理を行うためです。
(A) 他人の商標権と衝突を回避するため
Fig.2 同一料金で商標登録できる範囲と実際に権利申請する範囲との関係
Fig.3 同一料金で商標登録したい範囲と実際に権利申請できる範囲との関係
Fig.3 同一料金で商標登録したい範囲と実際に権利申請できる範囲との関係

商標法第4条第1項第11号では、既存の他人の商標権に抵触する内容の出願は認められないと規定されています。そのため、権利範囲を広げると既存の商標と衝突しやすくなり、審査に通らないリスクが高まります。このリスクを避けるため、多くの出願者が権利範囲を狭めているのです。
広い権利範囲を確保するには、高度な専門知識と審査官との折衝を重ねる実務能力が必要です。そのため、経験豊富な弁理士・弁護士の十分なサポートが受けられない場合、狭い範囲での出願をせざるを得ないことになります。
(B) 無料で追加できる範囲を切り捨てて権利範囲を狭くすることで得られるメリット
1. 審査に合格しやすい
他人の商標権を避けてピンポイントで出願することで、審査に一発で合格する可能性が高まります。
2. 審査官との折衝が不要
無料で追加できる部分の権利範囲を狭めることで、拒絶理由への対応が不要になり、商標登録がスムーズに進みます。
3. 効率的な出願作業
狭い範囲の出願は標準化が容易で、手間をかけずに大量の出願を効率的に処理できます。
4. 拒絶リスクの協議が不要
審査に合格しない可能性がある範囲を、無料で追加できる場合であっても、最初からできるだけ切り捨てることで、審査官との協議や修正を省けます。
5. グレーゾーンを排除し、一発合格を目指す
本来なら申請すれば追加料金なしで合格できる範囲について、審査に合格するかどうかが不確実な範囲(グレーゾーン)をできるだけ切り捨てることで、スムーズな登録を実現します。
ここがポイント
無料で追加できる範囲をあえて切り捨てて、権利範囲を狭くする出願は、できるだけ多くの出願を短時間で処理する上での効率性や審査通過率の向上を重視した選択肢です。
しかし、その一方で将来的なビジネス展開を考慮すると、本来なら追加料金なしで取得できたはずの範囲を出願時にあえて切り捨てた結果、後から弊害が判明する場合もあります。
出願方針を決定する際は、リスクとメリットを総合的に評価し、弁理士・弁護士の専門家と直接相談することが重要です。
(3)権利範囲を絞り込むことのデメリット
無料で追加できたはずの権利範囲を最初から狭く設定する出願方法には、出願を短時間に大量に処理できる効率性のメリットがありますが、一方で、いくつかの重大なデメリットも存在します。以下にそのポイントを解説します。
(A) 追加取得のコストが発生する
権利範囲を狭めた結果、本来1回の出願でカバーできたはずの範囲を複数回に分けて取得する必要が生じることがあります。
例えば、最初の出願で「かばん類の小売役務商標」を取得した際に、「ペット用被服の小売役務商標」を含めていなかった場合、後から追加することはできません。この場合、再度出願し、最初に取得した同額の費用を支払う必要が生じます。
最初に権利範囲に無料で含めておけば、倍額の費用の支払いは不要になります。
ところが最初に無料で追加できた範囲を切り捨ててしまった結果、後から追加出願すると、保有権利が2つに分かれます。一つの権利を維持するだけでよかったのに、二つの権利を維持することになり、特許庁に支払う更新費用も、これからずっと、倍額払うことになります。
権利の申請者が権利範囲を狭くすればするほど、権利者以外の立場にある人は儲かる、ということです。こんなことでよいのか、と率直に思います。
ユーザー視点の対応が重要
ファーイースト国際特許事務所では、出願前に「他に必要な権利範囲はありませんか?」と確認を行い、多くのお客さまが「実は…」と真のニーズを共有してくださいます。
一方、仮に機械的な処理でお客さまの意図を十分確認しなかった場合には、こうした細かなニーズを拾い上げることが難しくなる傾向があります。
(B) 近接する権利範囲を他人に取られるリスク
権利範囲が狭い出願では、本来なら無料で追加取得できたはずの範囲について、取得しなかった部分を他人に取得されてしまうリスクがあります。
商標権は出願人が自由に範囲を設定できますが、不十分な事前検討により権利漏れが発生すると、他人に権利を奪われ、将来的な事業展開に支障をきたす可能性があります。
(C) 後悔を招く可能性
商標調査を行うと、希望する権利範囲の一部に他人の商標が存在するグレーゾーンが判明することがあります。この場合、慎重に挑戦すれば取得できた可能性があったにもかかわらず、挑戦を避けたことで後悔を残すケースがあります。
挑戦しなかった後悔
グレーゾーンを全て避けることで簡単に商標権を取得できますが、「もしあのとき挑戦していれば…」という疑念が後から生じる可能性があります。
事業拡大後の問題発覚
出願時には気づかずとも、事業が成長してから権利範囲の狭さが問題になることがあります。この場合、後から権利を取得しようとしても、追加料金なしで本来なら取得できたはずの権利部分を最初に切り捨てた結果、他人に先を越されて権利を取得されてしまった場合は手遅れになることもあります。
更新時に十分な見直しを
権利範囲を狭く設定する出願は短期的な効率性を重視した選択ですが、将来的な事業リスクを伴う可能性があります。特に、権利漏れや追加コスト、そして後悔を避けるためには、最初の出願時点で十分に検討することにくわえ、更新時にも見直すことが重要です。
商標出願は、短期的なコスト削減と長期的な事業保護のバランスを見極める必要があります。
最適な方針を立てるためにも、意図する権利範囲が十分確保できていない場合は専門家のアドバイスを活用し、権利範囲に取得漏れがあるなら、見直す必要があります。
(4)まとめ
出願時なら無料で追加できたはずの権利範囲を切り捨てて、あえて権利範囲を狭く設定する現在のトレンドは、業務提供側の効率性を重視したものと言えます。しかし、これは必ずしもお客さまの視点に立った対応とは言い切れません。
お客さま視点の課題
商標登録に詳しい方であれば、狭い権利範囲の出願が持つメリットとデメリットを十分理解した上で選択できます。しかし、商標登録に馴染みのない方の場合、次のような誤解が生じやすいのが実情です。
メリットに目が向きがち
出願時に無料で追加できる範囲をあえて切り捨てることで 「合格率が高い」「一発で登録できる」という分かりやすい利点が注目される一方で
- 無料で追加できた範囲を最初に切り捨てた結果、再取得に倍額費用がかかる可能性
- 権利範囲の漏れにより権利が横取りされる可能性
- 事業拡大時の制約の可能性
などのデメリットに気づきにくい傾向があります。
今後の考え方
商標権取得時には、無料で追加できる範囲を安易に切り捨てるのではなく、「追加料金が発生しない範囲で、同じ料金でより広い権利範囲を確保する方法はないか」という視点を持つことが重要です。
事前相談の徹底
弁理士・弁護士と直接相談しないで出願することは非常に危険です。
出願時に無料で追加できたはずの権利範囲に漏れがあると、新たに出願して権利の穴を埋めるためには、最低12000円の特許庁出願印紙代と、登録時の32900円の特許庁登録印紙代(10年)が、新たに追加でかります。この料金内で、審査でひっかかった場合に弁理士・弁護士に依頼して突破できるかどうかを、出願する前に天秤にかける検討が必要です。
うっかり権利範囲に漏れがあって、それを埋め直した場合、出願登録時に新たな追加料金が発生するだけでなく、これから未来永劫、更新ごとに新たに特許庁に支払う更新印紙代(10年)の43600円が追加で必要になります。
弁理士・弁護士と直接出願前に十分な話し合いを行い、必要な権利範囲を明確化することが重要です。
もぐりや名前貸し等の実在しない場合でないかぎり、どこの弁理士・弁護士に質問しても、誠実に対応してもらえます。安心して直接質問してみてください。
将来を見据えた戦略的出願
現時点だけでなく、事業の成長や多角化を視野に入れた権利設定を行うことも考慮ください。
ここがポイント
現在の「無料で追加できる権利範囲を安易に切り捨てるトレンド」は、短時間で大量の出願を行う業務提供側の効率面ではメリットがありますが、お客さまにとって最善の選択になるとは限りません。
商標権の取得は、目先の効率だけでなく、長期的な事業保護の観点から戦略的に進める点が重要です。
商標登録に関する悩みや不安がある場合は、ぜひ弁理士・弁護士の専門家に直接相談し、例えば、今後の更新時のタイミングで権利取得の漏れがないか、再確認しましょう。
ファーイースト国際特許事務所所長弁理士 平野 泰弘
03-6667-0247