(1)Question:これらの商標に見覚えがありますか?
ここではまず、商標のみをクイズ形式でQ1〜Q3として提示していきます。
以下に示す商標がどのような商品に付けられているか、少しだけ考えてみてください。
きっと普段、食卓で使っている方も多いのではないでしょうか。
(Q1)多角形が印象的な商標は、どのメーカーのものでしょうか?
特許庁の商標公報・商標公開公報より引用
六角形の別の呼び方から連想してみましょう。
(Q2)「上」の文字は江戸時代からの誇り。この商標は、どのメーカーのものでしょうか?
特許庁の商標公報・商標公開公報より引用
商標の上部は、「山」を表しています。それを含む名前を考えてみましょう。
(Q3)3本の線が特徴的な商標は、どのメーカーのものでしょうか?
特許庁の商標公報・商標公開公報より引用
○を表す漢字にはどんなものがあるか、考えてみましょう。
(2)Answer:実は、こんな商品に使われています
(A1)野田の醸造家たちが結集した老舗醤油メーカー
正解は、キッコーマンです。
日本の醤油メーカーとして、すっかり定着しているキッコーマンの商品は、普段、使われている方も多いのではないでしょうか。
では、キッコーマンはどんな歴史をもち、この商標にはどんな思いが込められているのでしょうか?
江戸時代から続く歴史
キッコーマンの歴史は古く、江戸時代初期に現在の千葉県野田市で醤油づくりが始められました。
原料となる大豆や小麦などが手に入り、江戸への運搬もしやすいことから、野田は醤油の一大産地であり、醤油のふるさととも呼ばれています。
そして、1917年にキッコーマンの前身となる「野田醤油株式会社」が設立されます。これは、野田の醸造家一族が合同でつくったものであり、それぞれの秘伝の技や技術を結集した高品質な醤油づくりを目指していました。
ただ、このような背景をもつため、当時はそれぞれの家が受け継いできた醤油の商標が200以上あったようです。
その後、これらを少しずつ統合していき、1927年には東京市場で、1940年には全国でキッコーマンに統一されました。
明治時代には商標を登録
六角形のなかに「萬」の文字が描かれたキッコーマンのマークは、なんと明治時代に商標登録されています。
1911年8月15日に出願され、1912年1月19日に登録されました。
この六角形は亀の甲羅、すなわち「亀甲」を表し、「萬」の文字と合わせて、「亀甲萬」という名称を表しています。
普段、私たちが目にすることが多いのは「キッコーマン」や「kikkoman」というカタカナや英字の表記ですが、「亀甲萬」という漢字表記もまた、商標として登録されています。
六角形のマークの由来とは?
この六角形の「亀甲」を表すマークは、千葉県香取市にある香取神宮にあやかったものだといわれています。
香取神宮は千葉県の旧国名である下総国で最も格式が高い一宮であり、全国に約400ある香取神社の総本社です。
正式名称は「下総国亀甲山香取神宮」。
山号である「亀甲」と、神宝の「三盛亀甲紋松鶴鏡」の裏面に描かれた亀甲文様を元に六角形が描かれ、さらに「亀は萬歳の仙齢を有する」という故事があることから、「萬」の字が記されたと伝えられています。
普段、何気なく目にしているマークに、これほどの歴史がつまっているとは驚きですね。
(A2)「最上醤油」の称号を得た醤油メーカー
正解は、ヤマサ醤油です。
ヤマサ醤油は、代々受け継いできた独自の麹菌「ヤマサ菌」に改良を重ね、独特の色や味、香り、風味のよさを生かし、一般家庭だけでなく、高級日本料理店などでも使われています。
また、現在はメインとなる醤油だけでなく、昆布ぽん酢や昆布つゆなどの商品でも知られています。
銚子の地で続いてきた歴史
創業は1645年。江戸幕府が開かれてから約40年たった頃のことです。
醤油発祥の地といわれる紀州出身である初代濱口儀兵衛が、現在の千葉県銚子市に渡って商いを始めました。
銚子は穏やかな気候と高い湿度で醤油づくりに適した土地であり、漁業とともに醤油の街としても知られるようになります。
「濱口儀兵衛商店」(当時)もまた、江戸の繁栄に合わせるように発展していき、明治時代には関東で最初の宮内省(現在の宮内庁)御用達醤油に選ばれました(1895年)。
その後、1928年にそれまでの「濱口儀兵衛商店」から現在の社名である「ヤマサ醤油株式会社」に変わります。この頃は創業者の名前や地名を社名に使うことが多く、商品名をつけるのは珍しかったようです。
「上」の文字に込められた意味
ヤマサ醤油の商標には、山笠の右上に「上」の文字が書かれています。
実はこの文字には、大きな意味があるのをご存じでしょうか?
江戸時代、品質の優れた醤油には幕府から「最上醤油」の称号が与えられました。
ヤマサ醤油もまた、1864年にこの栄誉を手に入れています。
その証となるのが、この「上」の文字です。
そのことを忘れず、高い品質の商品をつくり続けるため、現在でも商標に「上」の文字を記し続けているそうです。
絵画に描かれた商標のエピソード
東京・浅草の浅草寺宝物殿には、「商標感得の図」という絵画が保管されています。
これは明治中期の洋画家である高橋源吉の筆によるもので、商標の付いた醤油樽と文机で思案する女性の姿が描かれています。
ヤマサ醤油の商標の由来には、夢枕に立った観音さまによって授けられたという説もあるそうです。
この絵画は1894年に奉納され、現在では年に1度だけ公開されています。
どのような絵であるかは、以下のヤマサ醤油のホームページでもみることができます。
ヤマサ醤油「ヤマサ資料館 絵画類 商標感得の図」
https://www.yamasa.com/enjoy/ history/dataroom/
商標に関して、このような幻想的なエピソードや絵画があるのも、江戸や明治という時代ならでは、という気がしますね。
(A3)家紋から生まれたシンプルで特徴的な商標
正解は、ミツカンです。
ミツカンは、日本の代表的な酢のメーカーとして知られています。
粕酢づくりから発展してきた歴史
1804年に創業したミツカンの歴史は、酒造業を営んでいた初代中野又左衛門が粕酢づくりに成功したことから始まります。
酒粕を原料とした粕酢は握りずしに合うと、江戸で評判になりました。
その後、初代のみせたフロンティア精神は受け継がれていき、酢の製造を行う一方で、1900年にはパリ万博で金賞を受賞した「カブトビール」を製造しています。
そして、時代が昭和や平成に移った後も、1964年には「味ぽん」、1982年には「おむすび山」、1998年には納豆「金のつぶ」シリーズを発売するなど、酢だけではなく、さまざまな商品を手がけています。
商標条例がきっかけとなって誕生
ミツカンの商標は、4代目中埜又左衛門によって考案されました。
そのきっかけとなったのは、1884年に制定された商標条例です。
この条例により、自身の商標を独占的に使用するためには、出願・登録が必要となりました。
このとき、又左衛門が登録を願い出ていたのは「勘」の文字を○で囲んだ「丸勘」という商標でした。
しかし、これは当時、多くの酢屋で使われており、3日ほど早く名古屋の酢屋によって出願されていました。
そのため、又左衛門は新たな商標を考える必要に迫られます。
そして悩んだ末に、○のなかに三本の線を描いた中埜家の家紋を元にした商標を思いつきました。
それが三本線の下に○(=「環」)をつけ、「三ッ環(ミツカン)」とした商標です。
○には、易学上の理論にある「天下一円にあまねし(隅々まで広く行き渡るように)」という意味が込められているそうです。
この商標は、無事、1887年5月26日に登録を完了し、現在まで受け継がれています。
(3)まとめ
いかがでしたか?
普段、私たちは、多くの商品を何気なく手にしています。
けれど、製造しているメーカーにはそれぞれの歴史があり、さまざまな思いが商標に込められているのですね。
上記で紹介したもののほかにも、数多くの商標が登録されています。
食事をしながら、どんなものがあるかを探してみると、会話がいっそう弾むかもしれませんね。
ファーイースト国際特許事務所
所長弁理士 平野 泰弘
03-6667-0247