索 引
1. 重工業メーカーから自動車ブランドへ — SUBARUの大胆な決断
2017年4月1日、日本の産業界に一つの転換点が訪れました。航空機や産業機器で知られていた富士重工業株式会社が、ついに株式会社SUBARUへと社名を変更したのです。この決断は単なる社名変更ではありません。創業100周年という節目に、自らのアイデンティティを再定義する勇気ある一歩でした。
実は「SUBARU」という名前は、1958年に発売された軽自動車「スバル360」から始まる長い歴史を持っています。「てんとう虫」の愛称で親しまれたこの小さな車は、戦後復興期の日本に夢と希望を運びました。街角で見かけるたびに、人々は思わず微笑んだものです。時が流れ、気がつけば人々の心に刻まれていたのは「富士重工業」という堅い社名ではなく、「SUBARU」という温かみのある響きでした。
松下電器産業がパナソニックに、日本光学工業がニコンになったように、愛されるブランド名を社名にすることは、企業と消費者の距離を一気に縮める魔法のような効果があります。SUBARUもまた、この魔法を信じて新たな一歩を踏み出したのです。
2. 夜空に輝く六つの星 — プレアデス星団が語る物語
日本最古の文学にも登場する「昴」
「SUBARU」をローマ字で見慣れている私たちですが、これは紛れもなく日本語の「昴(すばる)」を表しています。実はSUBARUは、和名を冠した日本初の自動車ブランドとして歴史に名を刻んでいるのです。
昴とは、牡牛座の肩のあたりで青白く輝くプレアデス星団のこと。肉眼で見ると6つの星が寄り添うように輝いていることから、「六連星(むつらほし)」という美しい別名も持っています。
平安時代の才女、清少納言も「枕草子」の中で「星はすばる」と記し、その美しさを讃えました。千年以上も前から、日本人の心を捉えて離さない特別な星だったのです。
六社統合の願いを星に託して
なぜ富士重工業は「SUBARU」という名前を選んだのでしょうか。そこには企業の歩んできた道のりが深く刻まれています。
富士重工業は、もともと6つの会社が合併して誕生した企業でした。「昴」という言葉には、実は「統(す)べる」という意味が込められています。6つの星が寄り添う姿から、「統(す)まる」が「すばる」に変化したという説があるのです。まさに6社が一つになるという企業の姿と、夜空の六連星が見事に重なり合いました。単なる偶然ではなく、運命的な出会いだったのかもしれません。
そこには「バラバラだった6社を統べて、より大きな力を生み出す」という創業者たちの熱い思いが込められています。お互いに支え合い、融合し、そして大成する。プレアデス星団のように、一つ一つは小さくても、集まれば誰もが振り返るような輝きを放つ。そんな願いが「SUBARU」という名前に結晶化したのです。
国立天文台との運命的な出会い
1958年、「スバル360」の発売を控えたある日、一人のデザイナーが国立天文台(当時の東京大学東京天文台)の門をくぐりました。彼の目的はただ一つ。エンブレムに描く六連星を、本物の天体により忠実に表現したいという情熱からでした。
天文学者たちは、若い星の集団であるプレアデス星団について詳しく教えてくれました。最も明るく輝くアルキオネを中心に、タイゲタ、マイア、エレクトラ、メローペ、アトラスという5つの星が取り囲んでいる。その配置は、まるで存続会社である富士重工業を5つの系列会社が支えているかのようでした。
初期のSUBARUエンブレムを見ると、星の配置が実際の天体とほぼ同じであることに驚かされます。単なるデザインではなく、宇宙の真理に基づいた造形。当時のデザイナーの並々ならぬこだわりと、ものづくりへの真摯な姿勢が伝わってきます。

「すばる」を通した不思議な縁があるんだね。
3. 進化し続ける六連星 — 商標デザインの変遷
時代とともに洗練されていくエンブレム
SUBARUの商標は、文字商標から図形を含むものまで、実に多様な形で登録されています。興味深いことに、六連星のデザインは一時期使用されなかった時期もあり、その後復活を遂げるという波乱万丈な歴史を持っています。
特許庁の商標公報・商標公開公報より引用
- 権利者:株式会社SUBARU
- 出願日:1976年5月7日
- 登録日:1980年12月25日
初期のデザインは、1976年に出願され1980年に登録された商標(第1449767号)に見ることができます。天体の配置に忠実な、素朴ながらも力強いデザインでした。そして1992年に出願され1995年に登録された商標(第3053942号)では、より洗練された現代的なデザインへと進化を遂げています。星の輝きがより鮮明になり、全体的にダイナミックな印象を与えるようになりました。
特許庁の商標公報・商標公開公報より引用
- 権利者:株式会社SUBARU
- 出願日:1992年9月22日
- 登録日:1995年6月30日
このような変遷は、単なるデザインの変更ではありません。時代の要請に応えながらも、「六連星」という核心的なアイデンティティを守り続ける。それはSUBARUの企業姿勢そのものを表しているのです。
4. 世界の頂点を目指して — SUBARUとレースの熱き絆
WRCでの栄光の日々
SUBARUを語る上で、モータースポーツでの活躍は欠かせない要素です。特に世界ラリー選手権(WRC)での輝かしい成績は、今でも多くのファンの心に刻まれています。
WRCは、雪道、砂漠、山岳地帯など、世界中のあらゆる過酷な道を舞台に繰り広げられるラリー競技の最高峰。そこでSUBARUは、独自の水平対向エンジンと四輪駆動システムを武器に、王者に輝きました。青いボディに黄色いフォグランプ、そして六連星のエンブレムを纏ったラリーカーが、泥まみれになりながら疾走する姿は、世界中の自動車ファンを熱狂させました。
スバルは世界ラリー選手権(WRC)において、マニュファクチャラーズ選手権(製造者部門)を1995年、1996年、1997年の3シーズン連続で制覇しました。それだけでなく、スバルのマシンを駆るドライバーたちが獲得した3度のドライバーズ選手権が存在します。
具体的には、1995年のコリン・マクレー、2001年のリチャード・バーンズ、そして2003年のペター・ソルベルグです 。これらを合算すると、スバルはWRCの頂点において合計6つの世界タイトルを獲得したことになります。さらに、個別のラリーにおける勝利数は数十回にも達します。
しかし2008年、経営判断によりWRCからの撤退を余儀なくされます。
世界金融危機の影響、競争力の低下、術的・レギュレーション上の課題等、複数の要因が複雑に絡み合った結果であったと推察されます。
ただ、多くのファンが落胆する中、SUBARUの挑戦は終わりませんでした。
新たなステージでの挑戦
WRC撤退後、SUBARUの子会社であるスバルテクニカインターナショナル(STI)は、「グリーンヘル」の異名を持つニュルブルクリンクでの24時間レースに参戦を開始しました。「世界最大の草レース」と呼ばれるこのレースで、2011年に初優勝を飾ると、その後も7度の栄冠に輝いています。
さらに2009年からレガシィB4 GT300で参戦したのを皮切りに、SUPER GTシリーズやグローバルラリークロス選手権にも参戦。2025年の今も、SUBARUの挑戦は続いています。これらの実績の前も、2005年のインプレッサがGT300クラスに参戦する等の過去の挑戦もあります。
2021年シーズンにおけるSUBARU BRZ GT300のGT300クラスシリーズチャンピオン獲得も含め、レースという極限の舞台で磨かれた技術は、市販車にフィードバックされ、私たちの日常に安全と走る喜びをもたらしているのです。
5. 商標が守るもの — ブランドに込められた無数の思い
街を走る一台一台の車。そこには設計者の情熱、工場で働く人々の誇り、販売店スタッフの笑顔、そしてオーナーの愛情が詰まっています。一つのブランドが生まれ、育ち、世間に認知されるまでには、数え切れないほどの人々の努力と思いが積み重なっているのです。
SUBARUが社名を変更し、ブランド名を前面に押し出したことは、単なる経営戦略ではありません。それは、60年以上にわたって「SUBARU」を愛し、支えてきたすべての人々への感謝と決意の表れなのです。
商標登録は、単に法的な権利を守るだけのものではありません。それは、ブランドに関わるすべての人々の思いを守る盾であり、未来への約束でもあります。六連星のエンブレムを見るたびに、私たちは6つの会社が一つになった創業の精神を思い出し、プレアデス星団のように輝き続ける未来を描くことができるのです。
夜空を見上げれば、今も変わらず六連星が輝いています。千年前に清少納言が愛でた「すばる」は、現代の私たちにも夢と希望を与え続けています。そしてSUBARUの車は、その星の名を冠して、今日も世界中の道を走り続けています。
ファーイースト国際特許事務所所長弁理士 平野 泰弘
03-6667-0247