索 引
1. 小さな島から始まった大きな挑戦の物語
日本全国には416もの離島があり、それぞれが独自の魅力を持ちながらも、共通の課題に直面しています。
島根県海士町から始まった一つのプロジェクトが、日本の離島振興に変化をもたらそうとしています。それが「離島キッチン」から「離島百貨店」への進化の物語です。
2. 🚐 キッチンカーから始まった小さな挑戦
そもそもの始まりは、商標登録例を調べているうちに、「離島キッチン」との登録例に私が気がついたからです。現在はどうなっているのだろう、と追跡調査したところ、「離島キッチン」の閉鎖の記事が目に飛び込んできます。
やはり小さな島から始まった物語は潰えたのかとおもいきや、登録商標「離島百貨店」の存在に気が付きました。小さな島の方々がコロナの厳しい時代を経て、反転攻勢にでた物語を紹介します。
2009年、すべてはキッチンカーから始まりました。
島根県隠岐諸島の海士町(あまちょう)。人口わずか2,300人ほどのこの小さな島で、地域の観光協会が立ち上げたのが「離島キッチン」プロジェクトでした。
島の新鮮な海産物や農産物を都市部に届けるため、キッチンカーによる移動販売からスタートしたのです。
当時の海士町は、多くの離島と同様に人口減少や高齢化に悩んでいました。しかし、島には豊かな自然の恵みがありました。
日本海の荒波で育った新鮮な魚介類、ミネラル豊富な土壌で育った野菜たち。これらの宝物を島の外に届けたい——そんな想いがプロジェクトの原動力となったのです。
3. 🏪 実店舗展開への大胆なステップ
キッチンカーでの手応えを感じた海士町は、2012年に茨城県水戸市に初の実店舗をオープンしました。これは離島にとって画期的な挑戦でした。なぜなら、離島の産品を専門に扱うアンテナショップは前例がほとんどなかったからです。
2015年9月、転機が訪れます。
東京・神楽坂に2号店となる「離島キッチン神楽坂店」がオープンしたのです。首都圏初の本格的な離島レストランとして、島の食材を使った創作料理を提供し、多くの人々に離島の魅力を伝えました。神楽坂という立地も絶妙で、グルメに敏感な都市住民の心を掴んだのです。
その後、福岡店、札幌店と全国展開を加速させ、2018年3月には東京・日本橋に5号店をオープン。日本の商業の中心地である日本橋への出店は、離島キッチンが全国区のブランドになったことを象徴する出来事でした。
4. 🎯 なぜ「離島百貨店」に変わったのか?
2019年2月、歴史的な転換点が訪れました。
海士町の単独事業だった「離島キッチン」から、複数の離島自治体が連携する「一般社団法人離島百貨店」が設立されたのです。この名称変更には、深い戦略的意図がありました。
「キッチン」の限界を超えて
「離島キッチン」という名前は確かに親しみやすく、食を通じた島の魅力発信には効果的でした。
しかし、離島の魅力は食だけではありません。美しい景観、独自の文化、伝統工芸品、そして何より人々の温かさ——これらすべてを表現するには「キッチン」という枠では狭すぎたのです。
「百貨店」という名称には、離島のあらゆる魅力を一堂に集め、都市部の人々に総合的に提供したいという願いが込められています。まさに「離島の総合商社」としての役割を担おうという宣言だったのです。
共通課題への挑戦
名称変更のもう一つの大きな理由は、離島が抱える共通課題への取り組みでした。人口減少、高齢化、後継者不足、物流の不便さ——これらは一つの島だけでは解決できない問題です。
「海士町や隠岐諸島だけでPRしても都市部の消費者には響かないのではないか。全国の島々に声をかけて『離島』をひとまとめのブランドにしよう!」
この発想こそが、離島連携という革新的なアプローチの出発点でした。個別の島では小さすぎる存在でも、全国416島が力を合わせれば大きなムーブメントを起こせる——そんな思いが名称変更を後押ししたかもしれません。
5. 🏢 「離島百貨店」の革新的な店舗コンセプト
現在の東京・日本橋にある「離島百貨店」は、従来のアンテナショップの概念を大きく超えた空間となっています。店内は機能ごとにゾーンに分かれており、それぞれが離島と都市をつなぐ役割を果たしています。
6. 📊 厳しい現実と事業の再編
しかし、すべてが順風満帆だったわけではありません。事業拡大の過程で、厳しい現実にも直面しました。
2020年から2022年にかけて、相次ぐ店舗閉店
新型コロナウイルスの影響もあり、福岡店(2020年7月閉店)、神楽坂店(2021年12月閉店)、札幌店(2022年11月閉店)と、地方店舗の集約が進みました。
特に神楽坂店の閉店は象徴的なできごとになりました。離島キッチンの本格展開の象徴的な店舗として6年間営業を続け、多くのファンに愛され続けた店舗の最後の営業日には、惜しまれる声が数多く寄せられました。
この経験は、事業の持続可能性についてのヒントになっています。単純な店舗数拡大ではなく、より効率的で影響力のある拠点運営へとシフトする必要があるのです。
7. 🚀 新たなステージへ:総合プラットフォーム事業
現在の「離島百貨店」は、単なる小売店舗を超えた総合プラットフォーム事業へと進化しています。
🎪 全国での物産展・催事開催
日本橋の店舗を中核としながら、全国の百貨店、スーパーマーケット、ショッピングモールで物産展を開催。より多くの人々に離島の魅力を届けています。
🎁 企業向けギフト提案
離島産品を活用した法人向けギフトサービスを展開。企業の社会貢献活動と離島支援を結びつける新しいビジネスモデルを構築しています。
🌐 デジタル情報発信:離島百科
全国416島の情報を集約したポータルサイト「離島百科」を開設。旅行検討者や移住希望者など、あらゆる人が島の情報にアクセスできる環境を整備しています。
🤝 生産者支援
島の生産者に対する商品開発支援やマーケティング指導も実施。単に商品を売るだけでなく、島の産業そのものを育てる役割も担っています。
8. 💫 目指すのは「関係人口」の創出
離島百貨店が最終的に目指しているのは、離島に関する「関係人口」の増加です。これは移住や観光とは異なる、第三の関わり方を指します。
定住人口(移住)でも交流人口(観光)でもない、新しい島との関係性
例えば、離島の商品を定期的に購入する人、島の文化に興味を持つ人、島の課題解決に何らかの形で貢献したいと考える人——こうした人々が「関係人口」です。
都市部に住みながらも、心のどこかで島を応援し、島の未来を一緒に考えてくれる人たち。そんな人々のネットワークを全国に広げることが、持続可能な離島振興の鍵となるのです。
9. 🌟 小さな島から始まった大きな変革
海士町のキッチンカーから始まった小さな挑戦は、今や全国416島を巻き込む大きなムーブメントへと発展しました。「離島キッチン」から「離島百貨店」への名称変更は、単なるブランディングの変更ではありません。
それは、離島が抱える課題に真正面から向き合い、新しい解決策を模索し続ける意志の表れです。個別の島の魅力を大切にしながらも、「離島」という共通のブランドのもとに団結することで、より大きな影響力を生み出そうとする挑戦なのです。
この物語は、地方創生の新しい可能性を示しています。小さな島から始まった取り組みが、やがて全国を巻き込む大きな変革の波となる——そんな希望に満ちた未来への第一歩が、今も日本橋の「離島百貨店」で続けられているのです。
表1:主要な出来事の時系列
時期 | 主要な出来事 | 主な関連組織 | 意義 | 典拠 |
---|---|---|---|---|
2009年 | 「行商人」募集を機に「離島キッチン」プロジェクトが開始。当初はキッチンカーで活動。 | 一般社団法人海士町観光協会 | モバイル形式での市場開拓とブランドコンセプトの確立。 | |
2015年9月 | 初の常設店舗「離島キッチン 神楽坂店」がオープン。 | 一般社団法人海士町観光協会 | 事業モデルが移動販売から固定店舗へと進化。都市部での恒久的な発信拠点を確保。 | |
2016年4月 | 「株式会社離島キッチン」設立。佐藤喬氏が代表取締役に就任。 | 株式会社離島キッチン | 事業の商業的側面を強化し、多店舗展開を加速させるための事業会社化。 | |
2019年2月 | 「一般社団法人離島百貨店」設立。山内道雄氏が会長、青山富寿生氏が理事に就任。 | 一般社団法人離島百貨店 | 事業目的が「食の販促」から「離島の構造的課題解決」へと拡大。広域連携プラットフォームが正式に発足。 | |
2019年6月 | 「離島キッチン日本橋店」がビュッフェ形式でリニューアルオープン。離島百貨店の旗艦拠点となる。 | 一般社団法人離島百貨店 | 「離島キッチン」事業が「離島百貨店」の枠組みに正式に統合・継承されたことを象徴する出来事。 | |
2020年以降 | 福岡店、神楽坂店、札幌店がコロナ禍等の影響で閉店。 | 株式会社離島キッチン | 物理的な店舗網は縮小するも、事業の中核は日本橋とオンラインプラットフォームへ。 | |
2023年 | 自治体会員の年会費を無料化。 | 一般社団法人離島百貨店 | 短期的な収益よりも、参加自治体を増やしネットワーク効果を最大化する戦略へ移行。 |
表2:主要な関連組織の比較(敬称略)
項目 | 一般社団法人海士町観光協会 | 株式会社離島キッチン | 一般社団法人離島百貨店 |
---|---|---|---|
法人名 | 一般社団法人海士町観光協会 | 株式会社離島キッチン | 一般社団法人離島百貨店 |
法人格 | 一般社団法人 | 株式会社 | 一般社団法人 |
設立/関与開始 | 2009年以前(プロジェクト開始母体) | 2016年4月 | 2019年2月 |
主な関係者 | 中村等光(代表理事)、青山富寿生(元事務局長) | 佐藤喬(代表取締役)、小池岬(代表取締役) | 山内道雄(元会長)、青山富寿生(代表理事) |
主な機能・役割 | 「離島キッチン」プロジェクトの初期インキュベーター。海士町の観光振興 | 飲食店型アンテナショップの商業的運営と多店舗展開 | 全国の離島連携による構造的課題解決プラットフォーム。地域商社、ネットワーク型DMO機能 |
所長弁理士 平野 泰弘
03-6667-0247