索 引
加護亜依の芸名商標問題が報じられた当時、芸名が使えなくなるのかと話題になりました。当時は法律の話より先にこのようなことがあってもよいのだろうか、という素朴な疑問を問う声が多かったと感じています。
「本名なのに、名乗れないってどういうこと?」
「自分の名前を、他人が”商標”で縛れるの?」
この問いは、いまでもSNSで話題になります。”常識の感覚”と”商標法のロジック”が真っ向からぶつかるからです。
2026年のいま、あの騒動に確定した結末を足せます。結論から言うと、旧事務所側が盾にしていた登録商標(登録第5287159号)は、芸能活動の中心にあたる指定役務について、不使用取消で取り消されました。
1. 結論:2015年、芸能の”コア部分”は取消で崩れた
報道当時、旧事務所(株式会社メインストリーム)が「加護亜依」を商標登録しており、無断で使えば「法的措置も辞さない」という趣旨の主張がある、と伝えられました。
ここでのポイントは「商標が登録されている=その言葉の使用がすべてアウト」ではない、という商標の基本構造です。商標権の効力が及ぶのは、登録に紐づいた”指定商品・指定役務”の関係する範囲に限られます。
この登録(第5287159号)は第41類で、もともと「演芸の上演、演劇の演出又は上演、音楽の演奏、歌唱の上演、ダンスの演出又は上演、映画・演芸・演劇又は音楽の演奏の興行の企画又は運営、映画の上映・制作又は配給、放送番組の制作」といった、まさに芸能活動に直結する役務が含まれていました。
その後の不使用取消審判(取消2014-300394)で、この”芸能のコア部分”が争点となり、特許庁は2015年2月9日に取消の審決を出します。さらに旧事務所が提起した審決取消訴訟で、知財高裁は2015年7月30日、旧事務所側の請求を棄却し、取消を維持しました。
つまり、「加護亜依」という名前が”商標登録されている”という一点だけで、芸能活動全般を封じ込める、というストーリーは、少なくとも芸能の中心領域については、制度上のカウンター(不使用取消)で崩れています。これが2026年時点の結論です。
2. そもそも、なぜ「自分の芸名」なのに”自分で使えない”ことが起きるのか
ここに疑問が集まると思います。商標は「その人が誰か」を証明する制度ではありません。商標が守るのは”ビジネス上の目印”です。消費者が「このサービスは、どこ(誰)の提供か」を識別するためのサインです。
芸能の世界では、芸名は”ブランド”として機能します。ポスター、番組テロップ、イベント告知、配信サムネ、タイアップなど、芸名は出所表示の中心に立ちやすい。だから事務所側が、タレント名を商標として押さえたくなる動機はあります。
他人の氏名等を含む商標は、原則として商標法4条1項8号により登録できません(本人の承諾がある場合など例外を除く)。この点については、当時の解説として、審査でいったん4条1項8号が問題になり、承諾書(同意書)提出でクリアした、という経緯があります。
ここで起きるのが「契約書のどこかに同意が埋まっている」問題です。芸能契約の中で、商標・著作・肖像・SNS等の条項が”包括的”に入っていると、タレント本人は深く意識しないまま、将来の火種を抱えてしまいます。
3. 2013年当時の論点:商標法26条「普通に用いられる方法で」が”くせ者”だった
当時私が説明したのは「氏名の使用は、すべてが商標権侵害になるわけではない」という点でした。
商標法には、自己の氏名等を普通に用いられる方法で表示する場合には、商標権の効力が及ばない、という趣旨の規定があります(商標法第26条)。当時触れた通り、たとえば日常会話として「私は加護亜依です」と名乗ることは、商標の問題以前に”単なる自己紹介”であって、普通は侵害になりません。
しかし厄介なのは、「普通に用いられる方法で」と法律上言い切られていることです。現代の芸能ビジネスは、名前を”普通に”ではなく、”商品設計として”使います。つまり、名前がそのまま番組・ライブ・企画の看板になり、ロゴ化され、巨大に表示され、SNS広告に乗る。この瞬間、名前は「氏名」から「ブランド標識」に変質します。
ここに、本人の感覚(自分の名前だ)と、商標の感覚(出所表示だ)のズレが生まれます。そして揉め事の多くは、”名乗る権利”ではなく、”商売で使う権利”の取り合いとして起きます。
4. 顛末の核心:勝負を決めたのは26条より「不使用取消」だった
今回の顛末を決定付けたのは、2013年に注目された26条の決着ではなく、商標法50条(不使用取消審判)制度の活用が決定打になったことです。
知財高裁判決によれば、旧事務所側は「使用していた」として証拠を提出します。留学支援系のウェブページ(「navi☆Road USA」)のプリントアウト等でした。そこには”加護ちゃん”的な表現や、タレント写真が掲載されていた、と記載されています。
ところが裁判所(判決文上は審決の要旨)は、そこに冷徹に線を引きます。
そのウェブページが想定し得る役務は「海外留学等の情報提供」であり、取消対象の「演芸の上演」等(本件指定役務)には含まれない。表示も「加護亜依」そのものではなく、「加護ちゃん的」などで、同一・社会通念上同一とも言いにくい。プリントアウト日は要証期間経過後で、提供者も確認できない。
要するに、”芸能の領域で商標を使っていた”ことの立証になっていないという判断です。
商標の世界は、感情より証拠で動きます。登録だけでは勝てない。使っていなければ落ちる。登録商標を法律の規定する通りに使っていないと取り消される怖さであり、同時に救済でもあります。
5. 「スキャンダルで使えなかった」は正当理由にならない:裁判所が引いた一線
さらに刺さるのが、旧事務所側が主張した”不使用の正当理由”に対する判断です。
旧事務所側は、不使用の正当理由として「本人が非協力だった」「スキャンダルで使用が不可能になった」といった事情を挙げました。
しかし判決上は、そうした事情は地震水害等の不可抗力や法令による禁止等とは異なる「私人間の事情」にすぎず、正当理由には当たらない、と判断されています。
これは、芸能界の感覚だと「そりゃ現場は止まるよね」という話なのですが、商標法50条の”正当理由”は、もっと硬い。ビジネスが回らなかった事情を、そのまま権利維持の免罪符にはしない。この線引きは、今後も類似事案で繰り返し参照されるはずです。
6. 2026年のアップデート:芸名トラブルは「商標」だけで終わらなくなった
2013年当時、芸能契約や取引慣行は”外から見えにくい”領域でした。近年は環境が変わってきています。
公正取引委員会は、音楽・放送番組等の分野で、実演家と芸能事務所等の取引慣行に関する実態調査の報告書を2024年12月に公表しています。さらに2025年9月30日には、内閣官房と公正取引委員会の連名で「実演家等と芸能事務所、放送事業者等及びレコード会社との取引の適正化に関する指針」を策定・公表しました。
これが意味するのは、「名前の取り合い」は、単なる民民トラブルではなく、契約・優越的地位・妨害行為などの観点からも”整理されうる時代”に入った、ということです。もちろん本件は商標法上の手続が中心ですが、同じ構図のトラブルが起きたとき、2026年の当事者は「商標だけ見ていればいい」では済まなくなっています。
7. それでも「芸名商標」はなくならない。だから、揉めない設計が必要になる
ここまで読むと、「じゃあ、芸名は事務所が商標登録しないほうがいいの?」という声が出ます。でも現実は逆で、芸名こそ、ちゃんと設計して押さえないと危ないです。
危ないのは、”登録すること”ではなく、”誰が、どの範囲で、どう使うか”を契約で決めないことです。芸能ビジネスでは、タレント本人・事務所・制作会社・広告主・配信プラットフォームと、名前が流通する相手が一気に増えます。
最初に決めるべきは、商標の出願名義というよりも、次の問いへの答えです。その芸名は、契約終了後も事務所が持ち続けるのか。本人に戻すのか。戻すなら条件は何か。事務所が保有するなら、本人に無償(または合理的な条件)で使わせるライセンスを付けるのか。番組名・グッズ・ファンクラブ・SNSアカウント名は、どこまでを”芸名使用”として扱うのか。
この設計がないと、いざ独立・移籍の瞬間に「名前が人質になる」構図が生まれます。
8. 「どうなった?」を、もう一度まっすぐに答える
最後に、2026年版として、問いに正面から答えます。
加護亜依さんの芸名商標問題は、2015年に登録商標を使っていないことを理由とする不使用取消(50条)によって、芸能の中心となる指定役務について登録が取り消され、旧事務所側が審決取消訴訟で争っても覆らなかった、という形で区切りがついています。
2013年当時は、「26条でいける/いけない」「普通に用いられる方法とは」が注目されました。でも顛末が教えてくれたのは、もっと実務的な話です。
商標は”取った人”のものになり得る。
でも商標は、”使っていない人”のものではあり続けられない。
2026年のいま、芸名トラブルは、商標法だけでなく、取引適正・競争政策の視点でも”語られる土壌”が整いつつあります。
補足:商標権は「永遠」ではない(更新しなければ切れる)
もう一点だけ、2026年の読者に向けて実務の話を置いておきます。商標権は放っておけば永遠に続く権利ではありません。
商標権は設定登録日から10年で満了し、更新登録申請により10年ごとに更新できます。満了日等はJ-PlatPatで確認できます。
「登録して安心」ではなく「更新管理までが商標実務」。芸名のような”人生に貼り付くブランド”ほど、ここで差が出ます。
※2013年8月20日、フジテレビ「ノンストップ!」で”芸名(氏名)と商標”のコーナーを監修し、番組内でコメントが放送されました。
ファーイースト国際特許事務所
所長弁理士 平野 泰弘
03-6667-0247
【参考資料】
- 知的財産高等裁判所 判決(平成27年7月30日/平成27年(行ケ)第10057号 審決取消請求事件)〔裁判所公式掲載PDF〕
- 商標法(昭和34年法律第127号)〔条文参照:第26条、第50条、第19条、第20条 等〕(e-Gov法令検索)
- 公正取引委員会「音楽・放送番組等の分野の実演家と芸能事務所との取引等に関する実態調査(クリエイター支援のための取引適正化に向けた実態調査)について」(令和6年12月26日 報道発表)
- 公正取引委員会「『実演家等と芸能事務所、放送事業者等及びレコード会社との取引の適正化に関する指針』の公表について」(令和7年9月30日 報道発表)
- 弁理士法人ブランシェ国際知的財産事務所「加護亜依の商標」(2013年8月22日。登録状況・論点整理の当時解説として参照)