索 引
家紋は原則自由に使える。それなのに、なぜ第三者が葵の御紋を商標登録できてしまうのか。2016年11月、水戸の業者が取得していた三つ葉葵系の図形商標に対して、異議申立がなされました。当時は結論が出ておらず、本ブログでも見通しを述べるにとどめていました。
後日決着がつきました。登録第5810969号は、登録異議によって取消となりました。権利そのものが消滅した形です。この後日談をもとに、当時問題になった論点を実務家の目線で整理します。
1. 「家紋は自由」と「商標の世界」の境界線
家紋はその家だけのもの、という感覚は自然です。ただし現代法には、家紋一般について「この家以外は使ってはいけない」と一律に割り当てる仕組みは置かれていません。
冠婚葬祭の紋付き袴、墓石、寺院、店舗の暖簾や看板、ウェブサイトなど、家系を表す印として一般に利用されている実情は、今回の審決でも整理されています。商売と無関係に、私的・儀礼的に家紋を使う行為は、通常は問題になりにくい。ここまでは当時お伝えしたとおりです。
しかし家紋を商品やサービスの目印(出所表示)として使い始めると、商標法や不正競争防止法といった「表示」を規律する法律の射程に入ります。料金を取っているかではなく、取引の場面で「うちのもの」と識別させる使い方になっているかがポイントです。
葵の御紋の取消審決は、家紋が広く分布する場合は出所識別標識として機能しないことが多い一方、改変や長年の使用で識別力を獲得する場合もあること、さらに近年は家紋がドラマ等で取り上げられて周知著名性や経済的価値を持つ場合もあることを指摘しています。そうした家紋と無関係の第三者が商標登録を受けるのは適当でない、という判断になりました。
2. 何が登録され、どこが問題になったのか
取消となった登録第5810969号は、三つ葉葵系の紋章でした。指定商品・役務には、「お守り・御札・日本酒・興行・大神楽・放送番組の制作」等が含まれていました。
誤解されがちですが、家紋を登録したからといって、葵の御紋の使用を全国一律に禁止できるわけではありません。商標権は指定商品・役務と関連のある範囲で、かつ商標として使用される限りで働く制度です。
ただし、図柄を、祭事・物販・メディアへつながり得る商品役務で押さえてしまうと、実務上の影響は大きくなります。今回の指定役務の広がりが、異議申立を呼び込んだ一因です。
3. 登録商標と葵の御紋はどこまで似ていたか
当時のブログで「見た目として似ている」と紹介しましたが、審決でも同じ方向の認定がなされました。外郭の丸輪、内側の丸輪と茎、三枚の葵葉の配置、全体の湾曲した表現が共通で、差異(葉脈の描き方)は軽微として、ほぼ同一といってよいほど類似と明言されています。
左右を入れ替えて提示されたときに、どちらがどちらか即答できる人は多くないはずです。審決が「ほぼ同一」と評価したのは、この離隔観察(離して見たときの印象)に強い共通性があったためです。
4. 権利範囲の制限があっても、今回は通らなかった
取り消された登録商標。特許庁審決公報より引用
異議申立人の登録商標。特許庁審決公報より引用
商標登録は、出願時に指定した商品・役務と関連のある範囲で審査され、権利もその範囲に限定されます。仮に登録が維持されたとしても、世の中のあらゆる場面で葵紋の使用を禁止できるわけではありません。当時ブログで紹介した「権利範囲の制限」という説明は今も同じです。
ただし今回の審決は、範囲の限定があったとしても、そもそも登録を維持してよいケースではないと判断しました。理由の中心は、商標法4条1項15号(混同のおそれ)です。
審決は、公益財団法人徳川ミュージアムが文化財公開・史跡公開・イベント等を行い、館内でグッズ販売もしていること、常磐神社で引用使用標章が神社幕や幟等に用いられてきたことなどを踏まえ、本件指定の「お守り・御札・日本酒・大神楽」等は、申立人の活動と関連し、需要者も共通し得るとして出所混同のおそれを認定しました。
役務を絞れば登録できるという一般論は正しいのですが、著名標章にきわめて近いものを、関連性のある領域で押さえる設計になっていれば、登録は消える。あるいは、今回のように後から取消される。これが実務の結論です。
5. 水戸黄門の放送への影響はあったのか
指定役務には「放送番組の制作」が含まれていました。この文言だけを見ると、水戸黄門のような時代劇で葵紋が使えなくなるのではという不安が生じます。
結論から言えば、ドラマのなかで葵紋が登場すること自体は、通常は商標法が問題にする「出所表示としての使用」とはズレています。作品内の表現は虚構世界の演出であり、視聴者がそれを見て「この番組制作サービスは誰の提供か」を識別する、という構造になりにくいからです。
実務的な注意点として、番組から現実の取引(グッズ化、コラボ商品、イベント、広告)に接続した瞬間、図柄が「商標として機能する」局面が生まれます。表現の自由と出所混同の防止がぶつかりやすい領域なので、企画の設計段階で線引きを意識しておく。これで十分でしょう。
本件は登録取消となったため、「登録第5810969号のせいで番組が作れない」という心配は結果として不要になりました。
6. 異議申立で「取消」を決めた三つのポイント
登録が取り消された商標権者の他の登録商標。特許庁審決公報より引用
本件の異議申立の審決は登録取消です。実務目線で分解すると、決め手は次の三点でした。
一点目は、「徳川の家紋として有名」だけでなく、異議申立人の標章として著名と認定された点です。審決は、引用使用標章が、異議申立人の前身である財団法人水府明徳会の設立時(1967年)にシンボルとして定められ、ウェブサイトやチラシ、館内販売商品等に用いられてきたことなどから、出願時に著名性を獲得し、査定時も継続していたと認定しました。この認定によって、15号(混同)、6号(公益団体の著名標章)、19号(不正目的)の論理の軸が一気に通ります。
二点目は、類似性が「ほぼ同一」と評価され、争点が薄くなった点です。類似性が拮抗する事案であれば、指定範囲や使用実態で勝負が揺れます。しかし今回は、審決が「ほぼ同一」と言い切るレベルでした。残る勝負どころは「著名性」と「関連性(混同可能性)」に集約されますが、ここも審決は丁寧に積み上げています。
三点目は、「近づけていった」評価を支える材料があった点です。過去に関連図形商標を取得し、その後に本件商標を取得した、徐々に引用使用標章に近づけたことがうかがえる、と審決は評価しました。水戸黄門のテレビ番組とは関係のない分野で商標登録を始め、徐々にテレビ放送の領域の権利範囲にすりよった経緯は見逃せません。審決も、この流れから19号(不正目的)や7号(公序良俗・剽窃的行為)を推認し得ると述べています。
7. まとめ 家紋は自由、ブランドの核にするなら設計を
今回の結論は「家紋だから自由」「家紋だから禁止」という二択ではありません。審決が示したのは、次のバランスです。
家紋は広く利用される実情があり、出所識別標識として機能しない場合も多い。しかし、周知著名性や経済的価値を帯びた家紋(またはその使用態様)があり、それと無関係の第三者が、関連性のある商品・役務できわめて似た標章を押さえるのは適当でない。
本件では、混同(15号)だけでなく、公益団体標章(6号)や不正目的(19号)、剽窃的行為としての公序良俗(7号)まで射程に入ると判断されました。
実務的には二つの教訓が残ります。
一つめは証拠の保全です。歴史・文化と結びついた紋章を、施設や団体の顔として使う側は、いつから、どこで、どの態様で使ってきたか(パンフレット、Web、物販、掲示物)を地道に残してください。いざ紛争になったとき、結局ものを言うのは証拠です。
二つめは権利範囲の適正化です。伝統的な図柄を商標出願する側は、「似せない」だけでなく、指定商品・役務の取り方を含めて衝突しない設計にしてください。広く取りすぎるほど、混同や剽窃の評価を呼び込みやすくなります。
本件は、家紋という文化資源と商標制度の境界線を、実例をもって示した事案といえるでしょう。
※当時の解説は、2016年11月8日のTBSテレビ「白熱ライブビビット」で放送されました。
ファーイースト国際特許事務所
所長弁理士 平野 泰弘
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