索 引
「自分の名前をブランドにしたい」「創業者の名前を商標にしたい」というご相談は、以前から絶えません。ただし、人名を商標として登録する話は、ひと言で説明できるほど単純ではありません。自分の氏名なのか、他人の氏名なのか、歴史上の人物なのか。ここで扱いがまったく変わります。さらに2024年4月の改正により、他人の氏名を含む商標の運用が実務上大きく変わりました。特許庁の公表資料と審査便覧に沿った現時点の取り扱いを、自己の氏名・他人の氏名・歴史上の人物名の三つに分けて整理します。
1. 氏名を商標として扱うときの原則
商標法は、ありふれた氏や名称を普通の態様で表示しただけの標章には、そもそも出所識別機能を認めていません。根拠は商標法第3条第1項第4号です。人名の商標登録を検討するときに、最初に立ちはだかるのがこの条文です。
ありふれた氏名が登録できない理由
第3条第1項第4号の趣旨はシンプルです。「山田」「佐藤商店」「WATANABE」のように、電話帳等で同種のものが多数見つかるような氏や名称を、ロゴ化も固有の結合もなく平易に書いただけの標章は、出所を識別する力を欠きます。特許庁の制度解説でも、「電話帳でみて同種のものが多数存在するもの」が典型例として紹介されています。
フルネームなら安心、というわけでもありません。同姓同名が珍しくない組み合わせであれば、結論は変わり得ます。実務で見落としやすいのは、「ありふれた氏」と「業態語(製菓、製麺所、商店、株式会社など)」を組み合わせても、全体として依然ありふれた名称と評価されやすい、という点です。語を単純に足しただけでは、識別力は生まれません。審査基準にも明記されているところです。
識別力を獲得する方法
一方で、図形化、独自のレタリング、独創的な造語との結合など、全体として自他商品役務識別力が生じる態様に仕上げれば、登録への道が開かれます。使用実績を積み上げたうえで、第3条第2項(使用による識別力)を主張するルートもあります。どちらの場合も、使用態様と周知性を客観的に示す証拠の準備が勝負どころです。
2. 自分の名前を商標登録する場合
自己の氏名を商標にしたい場合、最初に越えるべきハードルは、先に述べたありふれ度の壁(3条1項4号)です。壁を越える設計には、いくつかのアプローチがあります。
一つは、文字を図案化してロゴに仕立て、全体の印象を独自化する方向です。もう一つは、造語、記号、図形と一体に組むことで、氏名単体では到達できない識別力を持たせる方向です。第3条第2項による使用実績の立証は、時間がかかるものの、実態のあるブランドにはよく効くルートです。
もし他人が自分の氏名を含む商標をすでに登録していた場合でも、慌てる必要はありません。自己の氏名を「普通に用いられる方法」で表示する範囲には、他人の商標権の効力は及びません。根拠は商標法26条1項1号です。名刺の肩書、会社の住所表示、契約書の署名など、自己表示の範囲であれば侵害には当たらない、という調整原理が制度に組み込まれています。登録の可否と、名乗り方の線引きを、同じテーブルで検討することが肝心です。
3. 他人の名前を商標登録する場合:2024年改正のポイント
他人の氏名を含む商標については、2024年(令和6年)4月1日以降の出願から、不登録事由(商標法第4条第1項第8号)の運用が見直されました。近年の改正のなかでも、実務インパクトがとりわけ大きい部類に入ります。
改正の内容
改正の核心は、「承諾が問題になる場面」を絞り込んだ点にあります。従来は、同姓同名が一人でもいれば承諾を求められるような硬直した運用でしたが、改正後は二段階の要件で判断されます。
知名度の要件
まず知名度要件として、問題の氏名が、当該商品・役務の分野の需要者の間で広く認識されていることが前提となります。匿名の同姓同名が存在するだけでは、もはや8号の射程には入りません。そのうえで政令要件として、出願人と氏名との間に「相当の関連性」があり、かつ不正の目的がないこと、この両方を満たす運用となっています。
この見直しにより、出願人側の正当性が審査の場で正面から評価される運びになりました。他人に形だけ承諾をもらって出願する、という従来のお作法は、ほぼ過去のものになりつつあります。
「相当の関連性」を実務でどう判断するか
「相当の関連性」の典型として認められやすいのは、出願人本人の氏名、創業者や代表者の氏名、長年使ってきた店名などです。逆に、思いつきで著名人の氏名を持ち出したり、私的な知人関係を拠り所にしたりするパターンでは、関連性は認められにくくなります。これらの評価軸は、審査便覧42.108.03で明文化されています。
改正法が適用されるのは施行日以後の出願です。「当該分野で広く認識されている」という知名度要件と政令要件の組み合わせを満たせば、承諾なしで登録に進む道が開けます。願書の【その他】欄、あるいは上申書で、関連性と正当性を具体的な事実に引き付けて丁寧に書き込んでおくこと。ここが出願戦略の山場です。
承諾書について
承諾書が要るケースの記載事項や基本的な取り扱いは、審査便覧に整理されています。書式は自由ですが、本人を特定できる記載と、当該出願について承諾する旨の明示は外せません。
芸名・雅号・筆名でも、骨格は同じです。当該分野で広く知られている著名人の名義については、人格的利益の保護という観点から、従来どおり慎重に扱われます。ただし、出願人との相当の関連性を疎明できれば、登録の扉は閉ざされていません。
4. 人名が誤って登録されていた場合の対処法
人名が誤って登録された状態を見つけたとき、打ち手は大きく二つに分かれます。
商標権の効力が及ばない範囲での使用
登録が残っていても、自己の氏名を「普通に用いられる方法」で表示する限り、商標権の効力は及びません(26条1項1号)。最初にすべきは、自社の表示態様が「普通に用いられる方法」と言えるかどうか、冷静に点検することです。デザイン化されたロゴで表示しているなら、ここは要注意です。
異議申立
商標掲載公報の発行日の翌日から2か月以内であれば、登録異議の申立てで取消を求められます。この期間は延長が認められません。気づいたその日に動かないと、扉は閉じます。
異議申立の期間を過ぎた後は、無効審判等へと手段が切り替わります。主張する事実や、取り消したい動機によって適切な手段は異なります。早い段階で弁理士と方針を決め、狙いを外さない立論を組み立てることが肝心です。
5. 歴史上の人物の名前の商標登録
現行法に、「歴史上の人物名だから一律にダメ」と定めた条文はありません。ただし、故人の名声への便乗や、地域の公益に反する独占と評価されるような事案では、公序良俗違反(商標法4条1項7号)を理由に不登録または取消の対象になり得ます。社会的相当性や公益性が、多面的に審査されます。
公序良俗違反となる場合
たとえば「吉田松陰」のような歴史上の人物名が、出願人との関係が希薄であるにもかかわらず、地元の特産品や観光振興に直結する商品分野で独占されるケース。こうした事案は、社会公共の利益に反するとして、取消相当と判断される可能性があります。審判決の要約集を読むと、「名声への便乗」と「公益阻害」という二つの視点が重なったとき、公序良俗違反のハードルは越えやすくなる、という傾向が読み取れます。
実際の登録事例
以下の登録事例は、いずれも出願が20年以上前のものである点に注意してください。現行の運用では、同じ商標を同じ体裁で出願しても、同じ結論にはならない可能性があります。
歴史上の人物名が常に拒絶されるわけではありません。指定商品・役務の内容、名称の用い方(名声の連想を狙っているのか、それとも別の観念やロゴ全体の一部として使っているのか)、地域や公益との距離感などを総合して、個別に判断されます。出願前にJ-PlatPatで近似事例を洗い出し、公序良俗7号の射程と、先行登録の態様を突き合わせておく。ここが実務の出発点です。かつては文字だけの歴史上の人物名が登録された時代もありましたが、現在の審査水準では同じルートは通りにくくなっています。
「吉田松陰」事例の示唆
人物名の独占が地域の公益や文化的利益を損なうと判断されれば、公序良俗7号によって取消に動く、という流れが事例から見て取れます。出願人には重い社会的説明責任があり、地域や遺族感情への配慮を欠いたネーミングは、制度上のリスクだけでなく、ビジネス上の炎上リスクとしても跳ね返ります。法律の議論に閉じず、ブランドの社会的受容まで視野に入れた判断を迫られる場面が増えています。
6. 2026年時点の「氏名×商標」戦略のまとめ
ここまでの整理をもとに、現在の実務で押さえておきたいポイントをまとめます。
大前提となる識別力の問題
ありふれた氏や名称を普通に書いただけでは、識別力がなく登録に至りません(3条1項4号)。図案化、独自の結合、使用実績による3条2項の立証——この三つが、識別力を設計する基本の選択肢です。電話帳等で多数存在が確認できる名字・名称を持ち出すときは、特に注意してください。
自己の氏名の取り扱い
普通の自己表示の範囲であれば、効力不及び(26条1項1号)が働きます。登録の可否だけを考えるのではなく、登録できない場合の「名乗り方の線引き」まで、セットで設計しておきたいところです。
他人の氏名に関する2024年改正
承諾が問題になるのは、「当該分野で広く認識される」氏名に限定される運用へと変わりました。そのうえで、「相当の関連性」と「不正目的なし」という政令要件をクリアできれば、承諾なしで登録できる可能性が開かれています。願書や上申書での事情説明が、登録可否を分ける実務の核心です。
歴史上の人物名の扱い
一律禁止ではないものの、名声への便乗と公益阻害が重なる事案では、公序良俗7号によって登録が認められない展開が十分あり得ます。地域や文化への配慮と、社会的に通る説明の両方を用意できないネーミングは避けたほうが無難です。
7. 出願前の実務チェックリスト
出願前に、以下の点を確認しておくことをお勧めします。
- 識別力の設計:3条1項4号の落とし穴(ありふれた氏・名称と業態語の組み合わせ)に入っていないかを確認する。ロゴ化、独自結合、使用実績の証拠をセットで用意する。
- 氏名の知名度調査:当該分野で広く認識される同姓同名がいないかを確認する。該当する場合は、承諾の要否と、政令要件をどう説明するかを早い段階で詰める。
- 願書・上申書の記述:自己氏名、創業者名、継続使用名などとの関連性、および出願の正当性(不正目的でないこと)を、抽象論ではなく具体的な事実に基づいて書き込む。
- 歴史上の人物名を使う場合:公序良俗7号の観点から、地域や公益への影響を評価する。必要に応じて、地元自治体や関係団体との事前調整も視野に入れる。
- 登録に気づくのが遅れた場合:公報発行後2か月以内であれば異議申立、その期間を過ぎたら無効審判、という流れで対応する。
人名と商標の関係を整理するうえで役に立つのは、「識別力(3条)」と、「人格・公益の調整(4条・26条)」という二つの視線を同時に持つことです。2024年改正で他人の氏名の取り扱いは柔軟さを増しましたが、その裏返しとして、出願人側の説明責任と誠実なブランディングが、以前より強く問われるようになりました。戦略と配慮を両立させた名称設計。ここに、実務の勝負どころがあります。
人名を含む商標の出願は、条文の解釈、審査便覧の運用、公序良俗をめぐる個別判断が絡み合う、厄介な領域です。自己判断で進めて登録後に取消を食らう、あるいは出願時点で見通しを誤って無用な拒絶理由を重ねる——こうした事態は、費用と時間の両面で手痛い損失になります。実務歴10年以上のベテラン弁理士が、事案の筋を早い段階で見極めたうえで出願戦略を組み立てるほうが、結果として費用対効果に見合います。
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ファーイースト国際特許事務所
所長弁理士 平野 泰弘
03-6667-0247
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