索 引
人名の商標登録について、商標法の基本原則から最新改正まで、実務に即した形で解説していきます。自己の氏名、他人の氏名、そして歴史上の人物名それぞれについて、どこまで登録できるのか、2024年施行の改正内容も含めて整理します。本記事の内容は、特許庁公表資料および審査便覧に準拠した最新の運用に基づいています。
1. 商標法における氏名の原則
商標法では、「ありふれた氏又は名称を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標」には識別力(出所識別機能)がないとして、登録を認めていません。これは商標法第3条第1項第4号に規定されており、人名の商標登録を考える上での大原則となります。
ありふれた氏名が登録できない理由
第3条第1項第4号の趣旨はシンプルです。「山田」「佐藤商店」「WATANABE」のように、電話帳等で多数存在が確認できるありふれた氏名や名称を、特別な図案化や固有の結合なしに普通の態様で表示しただけの標章は、出所識別力を欠くため登録できません。特許庁の制度解説ページでも、「電話帳において同種のものが多数存在するもの」が典型例として示されています。
フルネームであっても、珍しくなければ同様の判断になる可能性があります。さらに実務上重要なポイントとして、「ありふれた氏」と「業態語(製菓、製麺所、商店、株式会社など)」を結合した場合、全体としてありふれた名称と評価されやすいという整理が審査基準上明示されています。単に語を組み合わせるだけでは、識別力は生まれないのです。
識別力を獲得する方法
ただし、図形化や独自のレタリング、独創的な語との結合などによって、全体として自他商品役務識別力が生じる態様であれば、登録の可能性はあります。また、使用による識別力の例外規定(3条2項)を主張できるケースもあります。いずれの場合も、使用態様と周知性を示す証拠が重要な鍵となります。
2. 自分の名前を商標登録する場合
自己の氏名を商標登録する際は、ありふれ度の壁(3条1項4号)を越えられるかが第一関門となります。この壁を越えるための設計としては、いくつかの方法が考えられます。
文字を図案化してロゴ化し、全体の印象を独自化する方法があります。また、造語や記号、図形と一体的に構成することで、単なる氏名以上の識別力を持たせることも可能です。さらに、使用実績を蓄積し、使用による識別力を立証する(3条2項)という方法もあります。
なお、仮に他人が自分の氏名を含む商標を登録していたとしても、自分の氏名を「普通に用いられる方法」で表示する範囲には、商標権の効力が及びません。これは商標法26条1項1号に規定されており、名刺の肩書や会社表示など、出所表示ではなく自己表示の範囲であれば侵害に当たらないという、制度の調整原理です。
3. 他人の名前を商標登録する場合:2024年改正のポイント
他人の氏名を含む商標については、2024年(令和6年)4月1日以降の出願から、不登録事由(商標法第4条第1項第8号)の見直しが行われました。これは近年における最も重要な改正の一つです。
改正の内容
改正により、承諾が必要な場面が限定されました。具体的には、以下の二段階の要件が設けられています。
知名度の要件
まず知名度要件として、問題の氏名が当該商品・役務分野の需要者の間で広く認識されている場合に限って、「他人の氏名」としての保護が発動されます。次に政令要件として、出願人と氏名との間に「相当の関連性」があること、および不正の目的がないことの両方を満たす必要があります。
この改正により、同姓同名がいるだけで一律に登録できないという従来の硬直的な運用は緩和され、出願人側の正当性が審査で正面から評価されるようになりました。
実務における「相当の関連性」の判断
「相当の関連性」の典型例としては、自己の氏名、創業者や代表者の氏名、継続使用している店名などが挙げられます。反対に、単なる思いつきや私的関係にすぎない氏名では、関連性が否定されやすくなります。これらの評価軸は、審査便覧42.108.03に明文化されています。
施行日以後の出願には改正法が適用されます。「当該分野で広く認識されている」という知名度要件と政令要件の組み合わせに合致すれば、承諾なしでも登録できる可能性が開かれたのです。出願段階から、願書の「【その他】欄」や上申書で、関連性と正当性を丁寧に記述しておくことが、実務上の重要なポイントとなります。
承諾書について
なお、承諾書が必要な場合の記載事項や基本的な取り扱いは、審査便覧に整理されています。様式は自由ですが、本人を特定できる記載と、当該出願について承諾する旨の記載が必須です。
芸名・雅号・筆名についても、基本的な構造は同じです。当該分野で広く認識される著名人の名義は、人格的利益の保護の観点から従来どおり慎重に審査されますが、出願人との相当の関連性を疎明できれば、登録の道は閉ざされていません。
4. 人名が誤って登録されていた場合の対処法
誤って人名が登録されていた場合、選択肢は大きく二つあります。
商標権の効力が及ばない範囲での使用
登録が残っていても、自己の氏名を「普通に用いられる方法」で表示する限り、商標権の効力は及びません(26条1項1号)。実務においては、まず表示態様が「普通」といえるかを冷静に点検することが重要です。
異議申立
商標掲載公報の発行日の翌日から2か月以内であれば、登録異議の申立てによって取消を求めることができます。この期間は延長できないため、気づいたら即座に動くことが鉄則です。
異議申立の期間を過ぎた後は、無効審判等の手段に切り替えることになります。目的や主張する事実に応じて採るべき手段が異なるため、早期の方針決定が重要です。
5. 歴史上の人物の名前の商標登録
現行法には「歴史上の人物名」を一律に禁じる規定はありません。しかし、故人の名声への便乗や、地域の公益に反する独占に当たる場合は、公序良俗(商標法4条1項7号)を理由に不登録や取消の対象となります。評価は社会的相当性や公益性の観点から、多面的に行われます。
公序良俗違反となる場合
たとえば「吉田松陰」等の歴史上の人物名が、出願人との関係が認められないにもかかわらず、地域の特産品や観光振興に直結する商品分野で独占されると、社会公共の利益に反するとして取消相当と判断される可能性があります。審判決要約集に残された判断からは、「名声への便乗」と「公益阻害」という二つの視点が重なると、公序良俗違反のハードルを越えやすいことが読み取れます。
実際の登録事例
登録事例は、全て出願が20年以上前である点に注意してください。
歴史上の人物名が常に拒絶されるわけではありません。指定商品・役務の内容、名称の用い方(単なる名声連想なのか、別の観念やロゴ全体の一部なのか)、地域や公益との関係などを総合的に評価して判断されます。出願前にJ-PlatPatで近似事例を調査し、公序良俗7号の射程と先行登録の態様を比較することが、実務における第一歩となります。過去には文字だけの歴史上の人物名が登録されていた時代がありましたが、現在では難しくなっています。
「吉田松陰」事例の示唆
前述のとおり、人物名の独占が地域の公益や文化的利益を害すると見られた場合、公序良俗7号によって取消に向かう流れが確認できます。出願人には重い社会的説明責任があり、地域や遺族感情への配慮を欠いたネーミングは、ビジネス上も炎上リスクが高い点に注意が必要です。
6. 2025年の「氏名×商標」戦略のまとめ
ここまでの内容を改めて整理します。
大前提となる識別力の問題
ありふれた氏や名称を普通に表示しただけでは、識別力がなく登録できません(3条1項4号)。図案化、独自の結合、使用実績などによって全体の識別力を設計することが基本です。電話帳等で多数存在が確認できるものは、特に注意が必要です。
自己の氏名の取り扱い
普通の自己表示の範囲には、効力不及び(26条1項1号)が働きます。登録の可否と、使い方の線引きをセットで設計することが重要です。
他人の氏名に関する2024年改正
「当該分野で広く認識される」氏名に限って承諾が問題となり、さらに「相当の関連性」と「不正目的なし」という政令要件を満たせば、承諾なしでも登録できる可能性が開かれました。願書や上申書での事情説明は、登録可能性を左右する実務上の核心となります。
歴史上の人物名の扱い
一律禁止ではありませんが、名声への便乗と公益阻害が重なると、公序良俗7号によって登録が認められない可能性があります。地域や文化への配慮と社会的説明を欠いた命名は避けるべきです。
7. 出願前の実務チェックリスト
出願前には、以下の点を確認することをお勧めします。
- 識別力の設計については、3条1項4号の落とし穴(ありふれた氏・名称と業態語の組み合わせ)に該当していないか確認します。ロゴ化、独自結合、使用実績の証拠をセットで準備することが重要です。
- 氏名の知名度調査では、当該分野で広く認識された同姓同名がいないかを確認します。該当する人物がいた場合は、承諾の要否と政令要件の説明設計を検討します。
- 願書や上申書には、自己氏名、創業者名、継続使用名等との関連性、および出願の正当性(不正目的でないこと)を具体的な事実に基づいて明記します。
- 歴史上の人物名を使用する場合は、公序良俗7号の観点から地域や公益への影響を評価します。必要に応じて、地元自治体や関係団体との調整も検討します。
- もし登録に気づくのが遅れた場合は、公報発行後2か月以内であれば異議申立、その期間を過ぎた後は無効審判という流れで対応することになります。
人名と商標の関係を理解するには、識別力(3条)と人格・公益の調整(4条・26条)という二つの視点で見ることが重要です。2024年改正により他人の氏名の取り扱いは実務的に柔軟になりましたが、説明責任と誠実なブランディングは、これまで以上に重視されています。適切な出願戦略と社会的配慮を両立させた名称設計を心がけましょう。
ファーイースト国際特許事務所
所長弁理士 平野 泰弘
03-6667-0247