索 引
1. 世界を魅了した立体パズルの知的財産権を巡る攻防
1980年代、日本中の老若男女が夢中になった立体パズル「ルービックキューブ」。あの六面体の各面を同じ色に揃えるシンプルながら奥深いパズルは、今でも世界中で愛され続けています。
この世界的な人気商品を巡って、実は知的財産権の分野で激しい法廷闘争が繰り広げられていることをご存知でしょうか。
2016年11月、欧州司法裁判所がルービックキューブの立体商標の登録を無効とする判決を下しました。
この判決は、知的財産権の世界に波紋を投げかけることとなりました。本記事では、この判決の意味するところと、日本におけるルービックキューブの商標権の現状について、商標登録の専門家の視点から詳しく解説していきます。
2. 欧州での逆転劇:20年以上守られてきた権利が崩壊
欧州におけるルービックキューブの立体商標を巡る法廷闘争が結末を迎えました。1990年代に欧州連合知的財産庁(旧欧州共同体商標意匠庁)によって登録されたこの立体商標は、20年以上にわたって有効とされてきました。下級審でも繰り返しその有効性が認められ、権利者である英国のセブンタウンズ社にとって、この商標権は盤石なものと思われていたのです。
しかし、ドイツの玩具メーカーであるジンバトイズ社は諦めませんでした。
長年にわたる法廷闘争の末、ついに欧州司法裁判所で逆転判決を勝ち取ったのです。
この判決は、知的財産権の世界において「確定したと思われていた権利も、正当な理由があれば覆される可能性がある」という重要な教訓を示しています。
3. ルービックキューブ誕生秘話:建築学者が生み出した一つの形
ルービックキューブの歴史を語る上で、その発明者であるエルノー・ルービック氏の存在は欠かせません。
ハンガリーのブダペスト工科大学で建築学を教えていたルービック氏は、空間認識能力を高める教材として、この立体パズルを考案しました。
当初は教育目的で作られたこのパズルが、後に世界中で4億個以上も売れる大ヒット商品になるとは、誰も予想していなかったでしょう。
1974年に最初の試作品が完成し、特許取得を経て1977年にハンガリー国内で発売が開始されました。
その後、「ルービックキューブ」という商標名で世界展開が始まり、瞬く間に世界中の人々を虜にしていったのです。
建築学者の教育への情熱が生み出したこの発明は、時代を超えて愛される傑作となりました。
4. 日本におけるルービックキューブ:ツクダオリジナルの先見の明
日本でルービックキューブが爆発的なブームを巻き起こしたのは1980年の夏頃からでした。この日本展開を手がけたのが、玩具メーカーのツクダオリジナル社です。
同社の経営陣は、このパズルが日本でも受け入れられると考え、商標登録戦略を展開しました。
実際の販売開始に先立つこと約4か月、1980年4月11日に「RUBIK CUBE」の文字商標を日本の特許庁に出願したのです。この先見の明により、ツクダオリジナル社は日本におけるルービックキューブの正式な販売権を確立することに成功しました。
審査を経て1983年11月25日に商標登録第1635953号として登録されたこの権利は、その後の日本でのビジネス展開の礎となりました。
5. 権利の継承:メガハウスから英国企業へ
時代の流れとともに、日本におけるルービックキューブの商標権も所有者が変遷していきました。ツクダオリジナル社からメガハウス社へと権利が移転され、現在では英国の企業が権利者となっています。
この権利の変遷は、グローバル化が進む玩具業界の再編を反映したものと言えるでしょう。
日本で登録されているのが「文字商標」であるという点です。欧州で問題となった「立体商標」とは異なり、日本では「RUBIK CUBE」という文字列そのものが保護の対象となっています。
この違いは、後述する権利の有効性に関する議論で意味を持ちます。
6. 国境を越えない商標権:パリ条約が定める大原則
欧州でルービックキューブの立体商標が無効になったというニュースを聞いて、「日本の商標権も危ないのでは?」と心配される方もいるかもしれません。
その心配は無用です。国際的な知的財産権の枠組みを定めるパリ条約は、各国・地域の商標権の独立性を明確に規定しています。
パリ条約第6条によれば、ある国で商標登録が無効となったとしても、その判断が他国の商標権に自動的に影響を及ぼすことはありません。これは「権利独立」と呼ばれる原則で、一国における権利の処分が他国の処分に影響されないことを保障しています。
欧州での判決がどうであれ、日本の商標権は日本の法律に基づいて判断されるのです。
7. 時間の壁:除斥期間という日本独自の制度
日本の商標法には、商標登録を無効にできる期間を制限する「除斥期間」という制度があります。
商標法第47条に定められたこの制度により、商標登録から5年を経過すると、原則として無効審判を請求することができなくなります。
ルービックキューブの日本での商標登録は1983年ですから、この除斥期間はとうの昔に経過しています。
この制度は、一度確立された権利関係の安定性を重視する日本法の特徴でもあります。
長年にわたって築き上げられたビジネスや信用が、突然の無効判決によって崩壊することを防ぐ、いわば「時効」のような役割を果たしているのです。
8. 権利あれど行使できず?普通名称化のリスク
しかし、商標権が形式的に存続していても、実際に権利行使ができるかどうかは別問題です。
「ルービックキューブ」という名称があまりにも有名になりすぎて、立体パズル全般を指す普通名称として認識されるようになった場合、商標権者といえども他者の使用を止めることができなくなる可能性があります。
これは「普通名称化」や「一般名称化」と呼ばれる現象で、「エスカレーター」や「ホッチキス」のように、元は特定企業の商標だったものが、その種の商品全般を指す言葉として定着してしまうケースです。
商標権者にとっては、ブランドの成功が逆に権利の弱体化を招くという意図しない結果になります。
9. 特許権による保護:期限切れという現実
ルービックキューブの独創的な構造は、かつて特許権によっても保護されていました。六つの面が独立して回転し、それでいて分解しない巧妙な機構は、特許に値する技術的発明でした。実際、ハンガリー、アメリカ、日本など各国で特許が取得されていました。
しかし、特許権には商標権と異なり、更新という制度がありません。出願から20年(当時は出願公告から15年など、国により異なる)という期限が来れば、どんなに画期的な発明であっても権利は消滅し、誰でも自由に使えるようになります。
ルービックキューブに関する全ての特許権は、現在では期限切れとなっており、その構造を模倣することは法的に問題ありません。
10. 著作権での保護は困難:機能性と創作性の狭間で
「それなら著作権で保護できないか」という声も聞かれますが、これも現実的には難しいと言わざるを得ません。
著作権は「創作的な表現」を保護するものですが、ルービックキューブの外観は基本的に「立方体の各面を9分割して色分けしたもの」という、極めてシンプルかつ機能的なデザインです。
著作権法は、機能性や実用性に由来するデザインは保護の対象外とする傾向があります。
ルービックキューブの魅力はその巧妙な動作機構にあり、これは特許法の領域です。外観デザインについても、あまりにもシンプルで必然的な形状であるため、創作性を認めることは困難でしょう。
11. まとめ:複雑に絡み合う知的財産権の世界
以上見てきたように、ルービックキューブを巡る知的財産権の状況は実に複雑です。
欧州では立体商標が無効となりましたが、日本では文字商標が今も有効に存続しています。特許権や意匠権は既に消滅し、著作権による保護も期待できません。
しかし、だからといってルービックキューブの模倣品を自由に販売できるわけではありません。日本では「RUBIK CUBE」の商標権が存在する以上、この名称を無断で使用すれば商標法違反となります。さらに、不正競争防止法による規制も考慮する必要があります。
一つの商品に、商標法、特許法、著作権法、不正競争防止法など、多数の法律が複雑に関わっているのが知的財産権の世界です。
ビジネスを展開する際には、これら全ての法律をクリアしているかどうか、慎重な検討が求められます。ルービックキューブの事例は、知的財産権戦略の重要性と複雑さを示す、一つの教科書的な事例と言えるでしょう。
ファーイースト国際特許事務所所長弁理士 平野 泰弘
03-6667-0247