1. 受験生のニーズから生まれた文字なし消しゴム
大学入試センター試験の受験案内には、試験中の所持品について詳細な規定があります。黒鉛筆はH、F、HBの規格に限定され、格言や和歌が印刷されたものは使用できません。服装についても、地図や英文字が含まれるデザインは避けるよう注意が促されています。
現代の文房具は商品名やデザインに英文字を使用することが一般的になっています。
このような状況下で、受験生は試験で使用できる文房具選びに頭を悩ませる場面が増えていました。こうした課題を解決するため、トンボ鉛筆は従来のMONO消しゴムから英文字表記を取り除いた新商品の開発に着手しました。
2. ブランド名を外すという大胆な決断の背景
50年以上の歴史が生んだ色彩の認知度
商品から名前を外すことは、通常のマーケティング戦略では考えにくい選択です。商品名はブランドの顔であり、消費者との接点を作る重要な要素だからです。名前のない商品は、数多くの競合商品の中で埋もれてしまうリスクを抱えています。
それでもトンボ鉛筆がこの決断を下せた理由は、MONO消しゴムの紙ケースに使用されている青、白、黒の3色のストライプパターンにあります。
1969年の発売以来、この配色は多くの人々の記憶に刻まれてきました。店頭で文字のない新商品を見ても、この特徴的な色の組み合わせだけで「MONO消しゴムだ」と認識できる人が多いのです。
半世紀以上にわたって築き上げてきた信頼と実績があるからこそ、文字に頼らない商品展開が可能になりました。手のひらに収まる小さな消しゴムに、これだけの歴史とブランド価値が詰まっていることは、日本の文房具文化の奥深さを物語っています。
色彩のみの商標登録第1号としての価値
MONO消しゴムの青、白、黒の3色ストライプは、2017年に「色彩のみからなる商標」の登録第1号として認定されました。この認定は、色彩の組み合わせそのものに識別力と著名性があることを法的に認めたものです。
3. 新しい商標制度が開く可能性
色彩のみからなる商標とは
2015年4月の商標法改正により、5つの新しいタイプの商標が登録可能になりました。
「色彩のみからなる商標」はその一つで、単色または複数の色彩の組み合わせのみで構成される商標を指します。
従来の商標制度では、色彩は図形や文字、記号と結びついている必要がありましたが、改正後は色彩そのものが独立した商標として認められるようになりました。
新しいタイプの商標には、音商標、動き商標、位置商標、ホログラム商標も含まれます。これらはいずれも、従来の枠組みでは保護が困難だった知的財産を守るための制度です。
登録までの長い道のり
2015年4月1日の出願開始日には、481件もの出願が殺到しました。このうち192件が色彩のみからなる商標に関するものでした。しかし、他の新しいタイプの商標が徐々に登録されていく中、色彩のみからなる商標は登録が認められるケースがなかなか現れませんでした。
2025年8月24日時点の特許庁統計によると、新しいタイプの商標の登録件数は834件となっています。内訳を見ると、音商標が378件、動き商標が217件、位置商標が213件、ホログラム商標が15件、そして色彩のみからなる商標はわずか11件です。
この数字は、色彩だけで商品やサービスを識別することの難しさを示しています。
誰のもので、どのような商品・サービスに使われているかを色だけで判別するには、特徴的な色合いと広範な認知度が不可欠です。初めての登録が認められるまでに、出願開始から約2年の歳月を要したことも、この難しさを裏付けています。
歴史的な2件の登録
2017年3月1日、特許庁は色彩のみからなる商標について初めて2件の登録を認めると公表しました。選ばれたのは、トンボ鉛筆のMONO消しゴムとセブンイレブンの看板に用いられる色彩でした。
トンボ鉛筆の商標(商標登録第5930334号)は、2015年4月1日に出願され、2017年3月10日に登録されました。対象となる区分は第16類の「消しゴム」です。
セブンイレブンの商標(商標登録第5933289号)も同じく2015年4月1日に出願され、2017年3月17日に登録されました。こちらは第35類として、身の回り品や飲食料品の小売・卸売業務における顧客への便益提供など、幅広いサービスが対象となっています。
これら2件の登録から現在までに、色彩のみからなる商標として新たに登録されたものは合計11件にとどまっています。この数字は、色彩による商標登録のハードルの高さを改めて示しています。
4. 受験生への応援メッセージとしての商品開発
秋から冬にかけて、受験生は最後の追い込み時期を迎えます。緊張感が高まる試験当日、使い慣れた筆記用具が手元にあることは、心理的な安定をもたらす要素となります。
トンボ鉛筆によると、「MONO」というブランド名には「唯一の、無類の」という意味が込められています。この名前を外した商品であっても、色彩だけで識別できるという事実は、ブランドが持つ本質的な価値を証明しています。
それぞれの進路を切り開こうとする受験生にとって、この消しゴムが小さな支えとなることを願います。商標制度の進化と企業の創意工夫が、受験生の挑戦を後押しする形で結実したこの商品は、日本のものづくりの精神を体現する一例といえるでしょう。
ファーイースト国際特許事務所所長弁理士 平野 泰弘
03-6667-0247