索 引
1. はじめに — 黄色いバスが織りなす東京ブランド
東京の街を華やかに彩る黄色いバスが、今日も都心を駆け抜けていきます。その鮮やかな姿を目にすれば、思わずスマートフォンを取り出してシャッターを切りたくなる——そんな気持ちに駆られる人もいるでしょう。
戦後の焼け野原から立ち上がった日本で、希望の光として誕生した「はとバス」。
それから70年以上の歳月が流れ、このバスは単なる移動手段を超えて、東京観光そのものを象徴する存在へと成長を遂げました。観光客の心に刻まれる「旅の記憶」を、時代とともに塗り替え続けてきたのです。
本稿では、商標登録の専門家として、「はとバス」という稀有なブランドがいかにして築き上げられ、守られてきたのかを紹介します。
観光サービスという無形の価値を、知的財産という法的な枠組みでどのように保護し、発展させてきたのか。その戦略的な取り組みから、現代のビジネスが学ぶべき多くの示唆を読み解いていきましょう。
2. 「東京観光の代名詞」になるまで — 歴史が創るブランド力
1-1 創業から現在までの軌跡
1948年、終戦からわずか3年後の東京で、新日本観光株式会社として産声を上げたはとバス。焼け跡が残る街に、新しい希望を運ぶ使命を背負っての船出でした。
翌1949年には早くも成田山初詣の団体貸切バスを運行し、観光バス事業の第一歩を踏み出します。
注目すべきは、この時期にすでに女性バスガイドを採用していたことです。

戦後の新しい時代にふさわしい、明るく親しみやすいサービスの原型が、創業間もない時期から形作られていたのです。この先見性が、後の「はとバス=楽しい東京観光」というブランドイメージの礎となりました。
1963年の社名変更を経て、定期観光バスや貸切ツアーを次々と拡充。高度経済成長期の波に乗り、「東京観光といえばはとバス」という不動の地位を確立していきます。しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。
1990年代後半、レジャーの多様化という大きな波が押し寄せます。
海外旅行の一般化、テーマパークの隆盛、インターネットの普及——観光業界を取り巻く環境は激変し、はとバスも業績の落ち込みに直面しました。
しかし、ここで同社が見せたのは、老舗企業にありがちな硬直性ではなく、逆の柔軟性でした。
顧客ニーズを徹底的に分析し、時代の一歩先を行く新コースを矢継ぎ早に投入。低価格でありながら高い満足度を実現するツアーが再評価され、国内外から観光客を呼び戻すことに成功したのです。
この復活劇の核心は、「体験価値の最新化×歴史ブランド」という絶妙な掛け合わせにあります。
70年以上の歴史が育んだ信頼感を土台としながら、ツアー内容は常に時代の最先端を走る。この一見矛盾する要素を高次元で融合させることで、息の長いブランドを維持し続けているのです。
3. 鳩モチーフが語る「安全運行」という約束
3-1 伝書鳩に託したメッセージ
1949年、はとバスの車体に初めて描かれた鳩のマーク。この一羽の鳥に込められた特別の意味があります。
株式会社はとバスHPより引用
平和の象徴として世界中で愛される鳩ですが、はとバスが着目したのは、伝書鳩としての特性でした。
どんなに遠く離れた場所からでも、必ず元の場所へと帰ってくる——この習性は、「大切なお客様を、必ず安全に目的地へお届けし、そして無事にお帰りいただく」という、運輸業の根幹をなす約束を体現していました。
戦後の混乱期、まだ交通インフラも整っていない時代に、この視覚的メッセージが人々に与えた安心感は大きいです。言葉を超えて伝わる「安全への誓い」が、ブランドの原点となったのです。
3-2 2代目ロゴの商標登録で守った”安心”
1950年に制定された2代目ロゴマークは、より洗練されたデザインへと進化を遂げました。そして1987年、同社は重要な一手を打ちます。このロゴマークの商標登録出願です。
1991年に登録された商標登録第2315844号(第12類:車両関連)は、はとバスが長年かけて築き上げてきた信頼を、法的に保護する盾となったのです。
特許庁の商標公報・商標公開公報より引用
当時は未だ役務(サービス。観光業のように商品を売るのではなく無形の業務を提供する業務の形)商標が存在していないかったので、商品商標でロゴマークが保護されています。
商標権の取得により、他社が類似のロゴを使用することは法的に禁止されます。
つまり、悪意ある第三者が「はとバス」を騙り、粗悪なサービスを提供することを未然に防ぐことができるのです。これは企業の利益を守るだけでなく、何より消費者を詐欺や劣悪なサービスから守る、社会的責任の表れでもありました。
ブランドの”顔”であるロゴマークを法的に保護することで、サービス品質の担保という無形の価値を、具体的な形で守り抜く。この先見性ある判断が、後のブランド展開の礎となりました。
4. 四羽の鳩が舞うシンボルマーク — デザインも知的財産
4-1 四つの願いと四つのメッセージ
特許庁の商標公報・商標公開公報より引用
1989年、創業40周年を機に導入された現行のシンボルマークは、デザイン史に残る傑作と言えるでしょう。「HATO BUS」の頭文字であるHとBを巧みに組み合わせ、そこから四羽の鳩が大空へと飛び立つダイナミックな構図は、見る者の心を瞬時に捉えます。
この四羽の鳩には、二重の意味が込められています。
企業としての4つの願い:
- 安全 — 何よりも大切な、運輸業の基本理念
- 快適 — 移動時間を特別な体験へと昇華させる決意
- 信頼 — 70年の歴史が培った、揺るぎない絆
- 繁栄 — 共に成長し続ける、持続可能な未来への約束
旅行者への4つのメッセージ:
- 夢 — 日常を離れた、特別な時間への誘い
- 未来 — 新しい発見と出会いへの期待
- 飛躍 — 旅が人生にもたらす、前向きな変化
- 旅立ち — 冒険への第一歩を踏み出す勇気
このシンボルマークは、単なる企業ロゴを超えて、現代のSNS時代において「撮りたくなるアイコン」として機能しています。
Instagram映えする黄色い車体に輝くこのマークは、投稿される度に自然な形でブランドを拡散させる、生きた広告塔となっているのです。
4-2 多区分での商標登録による「周辺ビジネス」の布石
2012年に登録された商標登録第5504401号は、はとバスの知財戦略における転換点となりました。この登録では、第16類(印刷物)、第20類(家具・クッション等)、第21類(日用品)、第28類(玩具・ゲーム用品)など、従来の観光業の枠を大きく超えた幅広い商品カテゴリーをカバーしています。
この戦略的な権利取得により、紙袋やクッション、おみくじ、玩具に至るまで、多様な記念グッズやコラボレーション商品の展開が法的に保護されることになりました。旅の思い出を「モノ」として持ち帰ることができる仕組みを整えることで、顧客との接点は旅行中だけでなく、日常生活にまで拡大されたのです。
お土産として購入されたはとバスグッズは、家庭や職場で使用される度に、楽しかった東京観光の記憶を呼び起こします。
この「ブランド体験の日常化」は、リピーター獲得や口コミ拡散において、プラスアルファの効果を発揮しています。
5. 車両やツアー名も”走る商標” — サービスのネーミング戦略
5-1 2階建てオープンバス「オー・ソラ・ミオ」
屋根のない2階建てバスから、東京の空を360度見渡せる——この斬新な体験を提供する「オー・ソラ・ミオ」は、はとバスの革新性を象徴する存在です。
イタリア語で「私の太陽」を意味するこのネーミングは、開放感あふれる特別な旅を予感させます。
2009年に商標登録第5301895号(第39類)として権利化されたこの名称は、単なるツアー名を超えて、「名前ごと体験を独占する」という画期的なポジショニングを実現しました。
特に人気の「東京いちょう回廊」コースでは、黄金色に輝く銀杏並木を上空から眺める絶景が、SNS上で「#オーソラミオ」のハッシュタグとともに拡散されます。写真映えする体験と覚えやすいネーミングの相乗効果により、自然発生的なバズマーケティングが生まれているのです。
商標権により他社が同名のサービスを提供できないため、この特別な体験を求める顧客は、必然的にはとバスを選ぶことになります。ネーミングの独占が、サービスの独自性を法的に担保する好例と言えるでしょう。
5-2 思い出に残るコピーライティング「一生に一度は富士登山」
「一生に一度は富士登山」——このシンプルながら心に響くコピーは、日本人の琴線に触れる絶妙なフレーズです。2013年に富士山が世界文化遺産に登録されて以降、このツアーの人気は急上昇しました。
商標登録第5659828号(第39類・第43類)として保護されたこのキャッチコピーは、バス輸送から宿泊手配まで、旅行に関わるあらゆるサービスをカバーしています。富士登山ブームが再燃しても、他社が同じフレーズでツアーを展開することはできません。
この商標戦略の巧みさは、日本人の心理を深く理解した上で、それを法的に保護している点にあります。「一生に一度」という言葉が持つ特別感と、富士山という日本の象徴を組み合わせることで、忘れられないブランド体験を創出し、それを独占的に提供できる仕組みを構築したのです。
5-3 最新版デザインで包括的保護 — 商標登録第6915984号
近年の商標登録申請では、さらに進化した知財戦略が見て取れます。「バス輸送・旅行契約取次」といった基本サービスに加え、将来の事業展開を見据えた幅広い権利範囲を確保しています。
特筆すべきは、サービス内容とデザインの一体登録という手法です。これにより、視覚的要素と機能的要素を包括的に保護し、模倣や類似サービスの参入を多角的に防ぐことが可能となりました。
デジタル化が進む現代において、オンライン予約システムやアプリ展開、VRを活用したバーチャルツアーなど、新たなサービス形態が次々と生まれています。この「ゆとりある権利範囲」の確保は、そうした未来の事業展開にも柔軟に対応できる、先見性ある布石と言えるでしょう。
6. 黄色い車体のブランディング効果 — 色彩も差別化要素
1979年、はとバスは大胆な決断を下しました。全車両を鮮やかな黄色に統一するという、当時としては革新的なブランディング戦略です。
この黄色は、単なる目立つ色という以上の意味を持っています。高層ビルが立ち並ぶ都心でも、曇天の日でも、遠くからでも一目で識別できる高い視認性。そして何より、見る人の心に「楽しい旅の予感」を呼び起こす、ポジティブなイメージカラーとしての役割を果たしています。
街を走る黄色いバスは、それ自体が「動く広告塔」となり、はとバスブランドを日常的に人々の意識に刷り込んでいきます。この視覚的インパクトは、どんな広告媒体よりも効果的なブランド認知を生み出しているのです。
そして2014年、はとバスは再び業界を驚かせます。定着した黄色のイメージを逆手に取り、漆黒のボディを纏った「ピアニシモ III」をデビューさせたのです。高級感=黒という新たなカラーブランディングにより、プレミアムツアー市場という未開拓領域への進出を果たしました。
興味深いことに、はとバスは色彩そのものを商標登録していません。これに替えて「イエローバス」との商標を登録しています。
70年以上にわたる継続的な使用と、圧倒的な顧客認知により、「黄色い観光バス=はとバス」という”事実上の色彩ブランド”を確立しています。これは、法的保護を超えた、真のブランド力の証明と言えるでしょう。
7. まとめ — 商標は”旅の安心”を守るセーフティネット
はとバスが構築してきた商標ポートフォリオを俯瞰すると、そこには緻密に計算された三層構造が浮かび上がります。
第一層はロゴ・キャラクターによる視覚的安心の提供です。一目で本物と分かる信頼のマークが、消費者の選択を確実なものにします。
第二層はツアー名・サービス名による体験の独占です。魅力的なネーミングとそれに紐づく特別な体験を法的に保護することで、競合他社との明確な差別化を実現しています。
第三層はグッズ展開による記憶の定着です。旅の思い出を形にして持ち帰ることで、ブランド体験を日常生活にまで延伸させる仕組みを作り上げています。
この多層的な保護システムは、単に模倣品リスクを最小化するだけではありません。それは、利用者が確実に”本物”のサービスを選び取り、安心して旅を楽しめる環境を保証する、高度なセーフティネットなのです。
想像してみてください。もし、はとバスを騙る偽ツアーに誤って申し込んでしまったら——。運行基準も不明確、保険や補償体制も曖昧、バスガイドの質も保証されない。せっかくの東京観光が、取り返しのつかない悪夢に変わってしまうかもしれません。
商標登録は、こうしたリスクから消費者を守る最後の砦です。それは企業の信用と顧客の体験価値を同時に守る、双方向のセーフティネットとして機能しているのです。
現代のビジネス環境において、サービスや体験の価値はますます高まっています。物理的な製品と異なり、サービスは形がないがゆえに模倣されやすく、品質の担保も困難です。だからこそ、「体験そのものを商標で守る」という視点が、これまで以上に重要になってきているのです。
あなたのビジネスは、顧客にどんな特別な体験を提供していますか?その体験は、法的に保護されていますか?ブランドは走り続けることで、さらに輝きを増します。はとバスのように、知的財産をエンジンにして、あなたのビジネスも新たな地平へと走り出してみませんか。
黄色いバスが今日も東京の街を走り抜けていく——その姿は、70年以上にわたって積み重ねられた信頼と、それを守り続ける知的財産戦略の、生きた証明なのです。
ファーイースト国際特許事務所所長弁理士 平野 泰弘
03-6667-0247