索 引
1. 歴史上の人物名をめぐる商標登録の議論
歴史上の人物名を商標登録できるかどうかは、商標の世界で長く議論されてきたテーマです。
特に、テレビ番組などで坂本龍馬といった歴史上の偉人が取り上げられると、その名前をめぐる商標登録の議論が活発化します。坂本龍馬や中原中也など、広く知られた故人の名前を商標として独占できるのか。
この点について、過去に産経新聞の大坪記者から取材を受けたことを2010年3月10日のこのブログで紹介しました。
弁理士としての活動を以前からNHK等で取り上げて頂いていた経緯もあり、たまたま大坪記者が私を見つけてくださったことがきっかけです。
当時の取材結果は「郷土の偉人 商標登録めぐり食い違い」との題名の記事として産経新聞に掲載されました。
この取材のあと、他人の氏名を含む商標の条文が2024年に改正されました。この記事では、生きている人の名前と亡くなった人の名前で適用される条文が違うこと、特許庁が歴史上の人物名について示した判断の枠組み、登録が認められなかった事例、登録が認められる場合を弁理士が説明します。
2. 生きている人の名前と亡くなった人の名前では条文が違う
生きている人の名前は商標法4条1項8号
他人の氏名を含む商標は、その他人の承諾がない限り登録できません(商標法4条1項8号)。この規定は人格的な利益を守るためのもので、ここでいう「他人」は現存する人を指します。亡くなった歴史上の人物は8号の対象に入りません。
8号は2024年4月1日に施行された改正法で内容が変わりました。以前は、同姓同名の人が一人でもいれば承諾を求められましたが、改正後は、その商品・サービスの分野の需要者の間に広く知られている氏名だけが対象になります。加えて、出願人と氏名の間に相当の関連性があり、不正の目的がなければ、承諾がなくても登録できます。改正の内容と実務は人名は商標登録できるのかと人の名前を商標登録出願したらどうなるかで説明しています。
亡くなった人の名前は商標法4条1項7号で審査される
歴史上の人物を直接保護する条文はありません。そこで特許庁は、商標法4条1項7号の「公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがある商標」に当たるかどうかで、歴史上の人物名の出願を審査しています。
著名な歴史上の人物、たとえば戦国武将や文豪は、出身地やゆかりの地で「郷土の偉人」として敬愛され、祭りや土産物、博物館など観光振興のシンボルとして広く使われています。ゆかりのない第三者がその名前を商標登録で独占すると、地元の人々が自由に使えなくなり、地域振興の妨げになります。社会全体の共有財産ともいえる偉人の名前を一個人や一企業が独り占めすることは、公正な競争秩序を乱します。7号が使われるのはこの理由からです。7号の全体像は商標が「公序良俗違反」と判断されるケースで説明しています。
3. 特許庁が2009年に示した指針
取材の前年にあたる2009年10月、特許庁は歴史上の人物名を商標登録する際の指針を公表していました。商標審査便覧42.107.04「歴史上の人物名(周知・著名な故人の人物名)からなる商標登録出願の取扱いについて」です。
この指針は、歴史上の人物名を使った公益的な施策などに便乗し、その遂行を阻害するような商標登録出願は登録を認めない、という方針を示しています。公共的利益を損なう結果になることを知りながら利益を独占しようとする意図が認められる出願は、7号に該当するとして拒絶されます。
指針の対象は「周知・著名な故人の人物名」です。名前が有名であること自体を理由に拒絶する仕組みではなく、その名前が公益的にどう使われていて、出願がそれをどう妨げるかを見る仕組みになっています。
4. 審査官が見る6つの事情
特許庁の審査官は、歴史上の人物名だからといって一律に拒絶する扱いはしていません。次の6つの事情を総合して判断します。
その人物の知名度
教科書に載るほど全国的に知られた人物か、特定の地域でだけ知られている人物かで、判断が変わります。知名度が高いほど、独占への反発は強くなります。
一般の人々がその人物に抱いている感情
地元住民や国民から敬愛されている人物の名前を第三者が独占すると、社会的な反発を招きます。
その名前が現在どのように使われているか
すでに地元の祭りや公共施設、観光案内などで広く使われている名前は、登録が認められにくくなります。
出願された商標と商品・サービスとの関係
土産物や特産品など、地元の観光産業と競合する商品での出願は、便乗の意図が疑われやすくなります。
出願の動機
純粋な事業目的なのか、偉人の名声にただ乗りしようとしているのかが検討されます。
出願人と歴史上の人物との関係
子孫や関係団体による出願と、まったく無関係な第三者による出願では、判断が異なります。
これらの事情は独立した合否条件ではなく、全体として「公益的な活動への便乗と妨害」に当たるかを見るための材料です。知名度が高い人物でも、観光産業と関係のない商品で、地元の活動を妨げない出願であれば、登録に至る余地があります。
5. 登録が認められなかった事例
過去の審判や裁判では、いったん登録された商標について、登録を維持した特許庁の審決が裁判所で取り消され、7号違反を理由に無効とされた例があります。
「赤毛のアン(Anne of Green Gables)」事件
実在の人物ではなく小説の題名であり主人公の名前ですが、考え方は歴史上の人物名と共通します。カナダの著名な作品の名前を日本の企業が商標登録していたところ、作品と作者の評価を損なうおそれがあり、日本とカナダの国際的な信義にも反するとして、知的財産高等裁判所は2006年9月20日、登録を維持した特許庁の審決を取り消しました。作品名はカナダの国民的な文化財産であり、一企業が独占することは許されないという判断です。判決の確定後、特許庁は判決の判断に従い、この登録を無効としました。
「カーネギー」事件
著述家デール・カーネギーの名前を、教育講座などの事業に使う商標として登録した例です。東京高等裁判所は2002年7月31日、著名な故人の名声に便乗して利益を得る意図が認められるとして、この登録を維持した特許庁の審決を取り消し、登録は無効とされました。
どちらも、名前そのものの品位ではなく、出願の経緯や名声への便乗という出願人側の事情が7号の判断材料になった事件です。歴史上の人物名の審査で「出願の動機」と「出願人との関係」が重く見られるのは、この流れの延長にあります。
歴史上の人物と、その人物を題材にしたフィクションのキャラクターは区別して考えます。実在した遠山景元と時代劇の「遠山の金さん」の関係が争われた事件は商標「遠山の金さん」事件で説明しています。
6. 地域振興と商標登録のバランス
地域振興の立場からは、歴史上の人物の名前を商標登録で守りたいという要望があります。特定の業者が権利を独占するより、地域の公共機関が商標権を持つほうが望ましいという考え方です。
ただ、この問題は単純ではありません。ある地域が歴史上の人物名の商標権を取得すると、その地域以外ではその名前を使えなくなる場面が出てきます。坂本龍馬は高知だけでなく、京都や長崎にもゆかりがあります。一つの地域が権利を持つと、ほかの地域の文化活動や経済活動に影響が及びます。
一方で、誰にも商標権を取らせないという選択にも問題があります。歴史上の人物の名を冠した品質の低い商品が大量に流通した場合、それを止める手段がなくなります。
地域、事業者、特許庁の立場はこのように食い違います。特許庁の指針は「ゆかりのない者の独占を認めない」方向に軸足を置きつつ、6つの事情を通じて個別の出願を見るという形で、この食い違いに折り合いをつけています。
7. 登録が認められる場合と出願前に確かめること
歴史上の人物名でも登録される場合があります。
一つは、知名度が限られた人物の名前です。全国的に知られておらず、地元でも観光振興のシンボルとして使われていない人物であれば、公益的な活動への便乗という評価に至りません。
もう一つは、地元の観光産業と競合しない商品・サービスでの出願です。同じ名前でも、土産物の菓子と、たとえば工業用の機械部品では、公益への影響がまったく違います。
子孫や関係団体、ゆかりの地の自治体による出願も、無関係な第三者の出願とは別に評価されます。
出願前には、その名前が地元でどう使われているかを調べ、出願の経緯と目的を説明できるようにしておきます。拒絶理由通知が届いた場合は、意見書で出願人と人物との関係や、公益的な活動を妨げない事情を具体的に示して反論します。意見書の提出に特許庁の手数料はかかりません。
商標登録の可否を決める境界線は、特許庁の審査方針だけで完結しません。審判や裁判の実務を通じて方針が見直される余地も残っています。歴史上の人物名の商標登録は、事案ごとに事情を見なければ結論が出ない領域です。
8. 出願前に専門家と検討する意味
歴史上の人物名の商標登録について、特許庁は「みんなに愛されている歴史上の人物名を、ゆかりのない他人が、地元の活動などを妨害する形で独占しようとしても、登録は認めない」という基本方針を持っています。
その一方で、歴史上の人物名の出願がすべて拒絶される制度にはなっていません。誰が、どの商品・サービスについて、どのような経緯で出願したかによって結論が分かれます。
当事務所では、人名を含む商標のご相談を受けたとき、出願前に、名前の使われ方、指定商品・サービスの選び方、出願の経緯の示し方を一緒に検討しています。歴史上の人物名は、審査で7号の拒絶理由を受ける確率が高い領域です。出願してから対応を考えるより、出願前に見通しを立てておくほうが、費用も時間も少なくすみます。候補の名前と使う商品・サービスをお知らせいただければ、お問い合わせフォームから調査のご相談を受け付けています。出願と登録の費用は料金案内に掲載しています。
9. 歴史上の人物名の商標登録についてよくある質問
Q1. 坂本龍馬のような有名な偉人の名前は、もう商標登録できないのですか?
全国的に知られ、地元で観光振興のシンボルとして使われている人物の名前を、ゆかりのない事業者が土産物などの商品で出願すると、商標法4条1項7号で拒絶されます。子孫やゆかりの地の団体による出願、観光産業と競合しない商品での出願は別に評価され、登録に至る例があります。
Q2. 亡くなった人の名前でも、遺族の承諾が要りますか?
商標法4条1項8号の承諾が必要になるのは、現存する人の氏名です。故人の名前は8号の対象ではなく、遺族の承諾は登録の要件ではありません。ただし、遺族や関係団体の意向は、7号の判断で「一般の人々の感情」や「出願人との関係」として考慮されます。
Q3. 小説や漫画の登場人物の名前も、歴史上の人物と同じ扱いですか?
実在の人物ではないため、審査便覧の「歴史上の人物名」の直接の対象ではありません。ただ、赤毛のアン事件のように、著名な作品の名前を無関係な者が独占することが作者や作品の評価を損ない、国際的な信義に反する場合は、同じ7号で登録が否定されます。作品名やキャラクター名は権利者が既に商標登録していることがあるため、出願前の調査が要ります。
Q4. 歴史上の人物の名前を店名や商品名として使うだけなら問題ありませんか?
商標登録と使用は別の問題です。誰も登録していない名前を使うこと自体を商標法は禁止していません。ただし、他人が先に登録していれば、同じ商品・サービスでの使用は商標権侵害になります。使う前に、その名前が登録されていないかを調べてください。
Q5. 7号の拒絶理由通知が届きました。反論の余地はありますか?
あります。意見書で、出願人と人物との関係、その名前を使ってきた経緯、指定商品・サービスが地元の公益的な活動と競合しないことを具体的な資料で示します。6つの事情は総合判断の材料なので、便乗ではない事情を積み上げれば結論が変わる余地があります。反論が通らなければ拒絶査定不服審判を請求できます。
ファーイースト国際特許事務所
所長弁理士 平野 泰弘
03-6667-0247
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ファーイースト国際特許事務所|弁理士 平野泰弘
