索 引
1. 2020年に急増した「歯磨き抜き」のせっけん商標権
当事務所は2021年2月、権利範囲に「せっけん類」を含むのに「歯磨き」を含まない商標権が、各年度にどれだけ発生したかを特許庁の公報データで調べました。結果が次のグラフです。
Fig.1 2010年から2020年の各年度について、権利範囲にせっけんを含むが歯磨きの権利を入れ忘れた商標権の発生数の推移を示すグラフ

2010年から2019年まで、この形の商標権の発生数は毎年ほぼ同じ水準で推移していました。ところが2020年は、この1年だけで前年より1,200件以上増えています。
後で詳しく説明しますが、せっけん類を指定する出願に同じ第3類の歯磨きを書き加えても、特許庁に納める料金は1円も増えません。無料で権利範囲に含められたはずの商品が、2020年に限って一斉に願書から消えた。グラフが示しているのは、そういう現象です。
2. せっけん類と歯磨きは同じ第3類でも別の商品
非医療用の「せっけん類」と「歯磨き」は、いずれも商標登録の第3類に属します。ただし、区分が同じだからといって、一方を指定すれば他方まで自動的に権利範囲へ入るわけではありません。
特許庁の類似商品・役務審査基準では、せっけん類には類似群コード04A01、歯磨きには04B01が付されています。願書で商品を分けて記載する理由がここにあり、歯磨きの権利は、願書に歯磨きと書いてはじめて手に入ります。
区分は料金計算の単位
第3類という区分は、商品・役務を分類し、特許庁料金を計算する単位です。特許庁に納める出願料と登録料は、指定した商品の個数ではなく区分数を基礎に計算されます。現行の出願料は3,400円に8,600円×区分数を加えた額、10年分の登録料は32,900円×区分数です。
せっけん類を指定する第3類の出願に歯磨きを加えても、区分数は1のまま変わりません。特許庁料金は増えないのです。願書に商品名を一行書き加えるかどうか、それだけの違いです。
医療用は第5類になる
非医療用の歯磨きは第3類ですが、医療用歯磨きは第5類です。商品名が「歯磨き」であっても、用途や効能によって区分が変わります。この点は願書を作る際に商品の実態を確認して選びます。
3. 入れ忘れの取り戻しには総額5,000万円かかる
問題は、出願の後から歯磨きを書き足すことが一切できない点です。特許庁は、出願後に指定商品を追加して権利範囲を広げる補正を認めていません。審査の途中でも、登録の後でも同じです。
歯磨きの権利が必要だったと後から分かった場合、新しい出願をやり直すしかありません。現行料金では、1区分の出願から10年分の登録までの特許庁印紙代だけで44,900円かかります。特許事務所に依頼すれば、その手数料も別にかかります。最初の願書に一行書き加えれば0円だった権利に、後からはこれだけの費用を払うことになります。
2020年に増えた1,200件超の商標権が、のちに歯磨きの権利を取り直すと仮定してみます。当時の特許庁印紙代は出願から10年分の登録までで1区分あたり約4万円でしたから、印紙代だけで総額はおよそ5,000万円です。タイトルの「1年で5,000万円相当分の権利漏れ」は、この計算に基づいています。
1件あたりで見れば数万円でも、本来なら1円も払う必要のなかった費用です。それが1年分の入れ忘れだけで、業界全体では5,000万円の規模になっています。
4. 不使用取消審判は隣の商品を外す理由にならない
「使わないかもしれない商品まで指定すると、不使用取消審判を請求されるのが心配」という説明を目にすることがあります。この心配は、せっけんの隣にある歯磨きを願書から外す理由にはなりません。制度の仕組みを見れば分かります。
不使用取消審判は、日本国内で継続して3年以上使われていない登録商標について、その取消しを求める制度です(商標法50条)。ポイントは、この審判が指定商品・指定役務ごとに請求できる点にあります。登録全体がまとめて審理されるのではなく、商品単位で取消しの成否が決まります。
使っている商品を含めて請求された場合はどうなるか。商標権者が使用の証拠を出せば、その商品の権利は維持されます。現に使っている権利が攻撃されたのですから、証拠を出して守るのは当然の対応で、権利が取り消される理由はありません。
使っていない商品だけが請求された場合はどうか。何も対応しなければ、その商品の分だけが取り消されます。使っている商品の権利は影響を受けません。答弁しなければ費用もかからず、実害はないのです。
使う意思のまったくない商品を手当たり次第に並べることを勧めているのではありません。せっけんを扱う事業者にとって歯磨きは、店頭でもネット通販でも隣に並ぶ商品です。無料で含められる隣の商品を、取消審判への心配を理由に外すのは、守れたはずの権利を最初から手放す判断だということです。
5. なぜ2020年を境に急増したのか
個々の出願にどんな事情があったかは、公報からは分かりません。しかし、10年間ほぼ水平だった線が2020年に一斉に跳ね上がる動きは、出願人ひとりひとりのうっかりが偶然重なった結果とは考えにくく、出願実務の側の変化を映したものと見るのが自然です。
当事務所の見方はこうです。2020年前後を境に、権利範囲を狭く絞って出願し、そのまま登録まで通すやり方が業界に広がりました。
狭く絞ると審査は通りやすい
指定商品を狭くすれば、先に登録されている他人の商標権と衝突する可能性が下がります。衝突がなければ拒絶理由通知は来にくく、早く登録でき、審査対応の費用もかかりません。お客さまへの説明は「短期間で登録できます」「審査で指摘を受けません」となり、これを聞いたお客さまは対応力が高い業者だと受け取ります。
業者側にも都合がよい
拒絶理由通知への応答は、審査官の指摘を読み解いて反論を組み立てる、経験がものをいう仕事です。折衝が最初から発生しない出願なら、経験の浅い体制でも大量に処理できます。拒絶査定になって費用を回収できない事態も、狭く絞っておけば避けられます。
そして、入れ忘れた商品に後から気づいたお客さまが権利を取り直せば、最初と同額の費用がもう一度動きます。権利を狭く通す実務は、業者側から見れば損のない選択なのです。
損をするのはお客さまです。自分の商標権が、同じ料金で取れたはずの範囲より狭いことは、他人の商標権を日常的に見ていないと気づけません。登録できたかどうかと費用にだけ目が向いていると、手元の権利に穴があることは分からないままです。
同じ構図は、せっけんと歯磨きの組合せに限りません。シャンプーとリンス、携帯電話とスマートフォン、紙と印刷物でも同型の入れ忘れが2020年以降に増えており、商標登録の費用ページで件数の推移とともに詳しく解説しています。
6. 出願前に確認してほしいこと
これから出願する方へ
願書を提出する前に、「本当に歯磨きを外してよいのか」を確認してください。同じ区分の中で無料で書き加えられる商品を外すなら、外すだけの積極的な理由があるはずです。願書に記載される弁理士に、この指定商品で漏れがないか直接尋ねてみてください。誠意ある弁理士なら、なぜその範囲にしたのかを納得できるまで説明してくれます。
一度願書を提出すると、指定商品の追加はできなくなります。確認するなら提出前しかありません。
すでに登録済みの方へ
J-PlatPatで自分の登録番号を検索し、指定商品・指定役務の欄と、事業で扱っている商品や近く扱う予定の商品とを照合してください。漏れが見つかった場合、その部分は誰でも出願できる状態になっています。他人に先を越される前に、新規出願を検討してください。
ファーイースト国際特許事務所では、実務経験10年以上のベテラン弁理士がお客さまを直接担当し、事業の内容と将来の展開を伺ったうえで、追加料金の発生しない範囲まで含めた指定商品・指定役務をご提案します。取得済みの商標権に漏れがないか気になる方も、無料相談・調査のお問い合わせからお気軽にご連絡ください。
7. よくある質問
Q1.せっけん類を指定すれば、歯磨きにも商標権が及びますか?
自動的には及びません。両方とも第3類ですが別の指定商品で、類似群コードも異なります。歯磨きの権利がほしければ、願書に歯磨きを記載します。
Q2.出願時に歯磨きを加えると特許庁料金は増えますか?
増えません。特許庁料金は区分数を基礎に計算され、せっけん類と歯磨きは同じ第3類だからです。なお、代理人の手数料体系は依頼先に確認してください。
Q3.登録後に歯磨きを追加できますか?
できません。指定商品を追加して権利範囲を広げる手続はないため、新しい出願でやり直すことになります。現行料金では1区分の印紙代だけで44,900円かかります。
Q4.使っていない商品を含めると、取消審判で権利全体が消えますか?
消えません。不使用取消審判は指定商品・指定役務ごとに請求され、商品単位で判断されます。使っている商品は使用の証拠で守れますし、使っていない商品だけが請求された場合は、放置してもその部分が取り消されるだけで追加の費用はかかりません。
Q5.自分の登録に漏れがないか確認するには?
J-PlatPatの詳細画面で指定商品・指定役務を確認し、事業の商品一覧と照合します。判断に迷う場合は、登録に関与した弁理士か、当事務所のような商標専門の事務所に相談してください。
8. まとめ
せっけん類と歯磨きは同じ第3類で、出願時に併せて指定しても特許庁料金は増えません。それにもかかわらず、歯磨きを含まないせっけんの商標権が2020年の1年だけで1,200件以上増えました。全件を取り直すと仮定すれば、印紙代だけで総額およそ5,000万円に相当する権利漏れです。
背景には、権利範囲を狭く絞って審査を通す出願実務の広がりがあります。狭い権利は早く登録できますが、そのしわ寄せは、入れ忘れに気づいて権利を取り直す段階でお客さまに来ます。不使用取消審判への心配は、無料で含められる隣の商品を外す理由にはなりません。
願書に商品名を一行加えるだけで防げる損失です。出願の前に「本当にこの商品を外してよいのか」を、願書に記載される弁理士に確認してください。
ファーイースト国際特許事務所
所長弁理士 平野 泰弘
03-6667-0247
参考資料
- 特許庁「類似商品・役務審査基準〔国際分類第13-2026版対応〕」 https://www.jpo.go.jp/system/laws/rule/guideline/trademark/ruiji_kijun/ruiji_kijun13-2026.html
- 特許庁「産業財産権関係料金一覧」 https://www.jpo.go.jp/system/process/tesuryo/hyou.html
- 特許庁「商標登録取消審判」 https://www.jpo.go.jp/system/trial_appeal/shubetu-shohyo_torikeshi/index.html
- e-Gov法令検索「商標法」 https://laws.e-gov.go.jp/law/334AC0000000127
- 特許情報プラットフォーム(J-PlatPat) https://www.j-platpat.inpit.go.jp/
商標のことでお困りですか?
商標登録の出願・調査・侵害対応について、
弁理士が無料でご相談に応じます。お気軽にお問い合わせください。
ファーイースト国際特許事務所|弁理士 平野泰弘
